異常な金余りの歪は大

---金融政策の出口戦略は難航必至---

 名古屋大学 客員教授   経済学博士 水谷研治

コロナを乗り越えて業績が復活している企業ばかりではなさそうである。人手不足から業務が続けられないところもある。事業を継続するためには資金手当てが必要である。必要な資金を求めて奔走することになる。

常日頃、豊かな生活から縁遠いと、誰もが同じだと思いがちである。世の中に資金が有り余っていることが理解しにくい。お金はお金持ちに集まるようになっていて、貧乏人には縁遠いもののようである。そのため世の中にはお金が有り余って困っていると言われても実感が沸かないのが現実である。

多くのお金をお金持ちは大切に保存している。自分の金庫に入り切らないほどになると、どこかへ預けることになる。安全な場所として銀行が選ばれる。銀行に集まった資金は必要な人や企業に貸し出される。しかしその資金が丁度、欲しい人や企業の要望に合致するとは限らない。

一般に資金を借りようとする場合は、それだけの切実さがあるのに対して、貸す側は余裕資金で貸すことに熱意がないと思われる。全体としてお金が不足する場合には特にそのような傾向になる。

長期に渡る極端な金余り

ところが全体として資金が大量に余ると変わってくる。わが国では長年にわたり、莫大な資金が民間部門へと流れ込んでいる。それに対して、景気の低迷が続き、主な資金需要先である企業が資金を大量に借りてまで積極的に投資しようとしない。そのために膨大な資金が毎年余っていく。余った資金を大量に抱えて銀行が困り切っている。受け入れる預金の金利を零に近づけるうえ、少しでも多く借りてもらおうと力を注いでいる。当然に金利が下がっている、それでも借り手がない。

これほど資金が余っている国はない。日本の金利は諸外国に比べて格段に低い。代表的な長期金利である10年物の国債金利が1%にもならない。本来なら5%から10%と考えられる。かつては日本でも6.1%の国債は金利が低すぎるために売れなくて困ったことがある。現在は低い金利の国債でも買う以外に大量の余剰資金を運用する方法がない。

もちろん銀行はあらゆる方法を模索している。返済に多少疑問がある先へも貸し込んでいる。国内だけでは消化しきれないために海外へも資金の運用先を求めている。海外の企業に貸すだけではない。外国の政府が発行する国債をはじめ各種の債券を購入している。

これらの方針は好ましい結果を生んでいる。この間に欧米の金利が上昇したのに対して、日本の金利が上昇しなかった。それを反映して円相場が下落し、海外への投資や融資が利益をもたらしたからである。

そのために今後とも海外への投資や、高い金利を求めての資金運用が続くと考えられる。それらは大量に余った資金の運用先として考えざるをえないからである。将来に予想される問題点を考える余裕がない。

難しい日銀の出口戦略

極端な金余りはお金の有難みを失くす。お金で人や企業を動かすことが難しくなる。金融政策の力は減少する。金融政策によって全体の経済を動かすことが難しくなる。

それにもかかわらず、その役割を果たすことを求められると、知恵を絞り、各種の施策を考えることになる。それらが金融市場に影響して全体の経済を動かす。しかし、逆に言えば、市場の動きを政策によってゆがめる。それが一時的のものであれば問題は小さい。むしろ経済政策はそれを狙っているのである。ところが、それが長期化すると、それを元へ戻すときの衝撃が無視できなくなる。

いわゆる禁じ手とも言われる手段も動員されている。投資信託の大量の購入によって日銀が多くの企業の事実上の大株主になっていると言われる。そのことが現在の株価に影響している面があろう。

国債などの債券の場合は期限がある。10年もすれば大部分の債券は償還されて保有が無くなる。ところが株式の場合は売らなければ減少しない。中央銀行が株式を売却すれば、市場に大きな影響が及ぶ。簡単には売ることができないだけに中央銀行による株式の購入には疑問がある。

余りにも無理な政策の後始末は大変難しい。軽々に動くことは勿論のこと、その影響を考えれば、検討することさえも難しくなっているのではなかろうか。

 

---時局10月号への寄稿(2023.9.7)から---

 水谷研治の経済展望/問題点と対策Vol.49

 

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