目先の安住が将来の大問題に

---必要な覚悟と準備---

 名古屋大学 客員教授 経済学博士 水谷研治

78年前の悲惨な状況は物語の世界になり、自分達には無関係となって久しい。平和で豊かな生活を多くの人々が謳歌している。

わが国の経済は30年以上にわたって豊かで安定している。だからと言って、問題がないわけではない。多くの課題に迫られて右往左往しているのが現実である。

少しでも豊かな生活をと願わない人はいない。それには相応の努力が必要であり、費用も支払わなければならない。ところが、われわれは毎日が忙しい。世の中には情報が溢れている。周りの人々とお付き合いをするためには、いろいろな話題についていかなければならない。野球やサッカーだけではない。テニス、大相撲、ボクシング、アイススケートと選手の活躍が胸を躍らせる。将棋界では二十歳の天才が注目を集める。バレー、音楽、映画で世界的な活躍が素晴らしい。有名な選手の下には、彼らを支えるための強力な組織があり、それに従事する多くの人々が献身的な毎日を送っている。それらの話題についていくためにも相当な知識が必要である。

溢れる情報に乗り遅れることは許されない。発信も重要である。スマホが手放せない。電車の中は勿論のこと、歩いていてもスマホを操作する人が増えている。

忙しくて働く暇がない。

ささやかで身近な幸せを追う

人々が望むのは身近な幸せであり、今よりも少しでも幸せになることであって。大望を抱いて将来を展望するなどといったことではない。過去30年もの平穏な経験が物語るのは、あくせくしても大きく飛躍することは難しく、遠い将来のことを心配しても仕方がないという現実である。

このことは日本経済全体にとっても同様である。長年にわたり、わが国ではモノが余り過ぎて経済が成長できなくなっている。

モノを創り出すためには長年にわたる地道な努力が必要であり、その結果が今日の強大な経済力となってきているのは事実である。わが国は世界最大の対外純資産国になっている。膨大な純資産は5年や十年で使い切れるものではない。これ以上に国民が勤勉に働いて、より多くの物を創り出しても、物がさらに余り、不況を悪化させるだけである。現在、必要なのは、有り余るモノを使い尽くして、モノ余りを削減し、不況から脱却することである。

そのためには国民が懸命に働いてモノ作りに精を出すのを止め、皆が毎日の生活を楽しむことが歓迎される。

通常は、そのようなことを願っても難しい。ところが国民の身近な要望を取り上げて実現することが政治家に求められ、それを政治家が競って実現を図ってくれている。報道機関がそれに同調し、話題を探してテレビ、新聞、雑誌が競ってムードを掻き立てる。

打ち出の小槌

それには大量の資金が必要になる。それを政府が負担してくれれば願ってもないことになる。

政府に打ち出の小槌があるわけではない。必要な財源は増税する以外にない。ところが国民は増税には大反対である。政治家が増税を主張すれば選挙で落とされる。

頼りは借金である。借金は後で返さなければならない。金利を支払う必要もある。そのために限界がある。その限界は貧乏人には低く、金持ちには高い。莫大な資産を貯め込んでいる場合には。その一部を売れば、借金を簡単に返済することができるからである。

普通の国の場合には大きな借金ができないのに対して、わが国では、これほどの借金をしても限界には至らない。それだからこそ半世紀以上にもわたり借金を続けることができるのである。しかも毎年の赤字が拡大し、国の借金はすでに膨大な額になっている。それでも限界には至らない。これ幸いと相も変わらず借金を増やして身近な幸せを追い続けている。

その結果として目先的には大きく落ち込むことなく平穏な経済情勢を続けるであろう。ただし、その結末として、わが国の経済力は将来も落ち込み続け、負担しきれない借金をさらに膨らませることになる。

この流れを転換するためには相当な覚悟が必要である。そのための準備を真剣に考えなければならない。

 

---時局9月号23.8.10への寄稿(2023.8.10)から---

 水谷研治の経済展望/問題点と対策Vol.48

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