賃上げによる景気引き上げの光と影

---長期的な問題にも要注意---

 名古屋大学 客員教授  経済学博士 水谷研治

政府の積極的な要請もあり,今年の春闘は久し振りにかなりの成果になった。人手不足を補おうとして、初任給を大きく引き上げた企業がある。企業の発展を担う人を招くために賃金を上げた例も話題になっている。

諸物価の上昇が家計を圧迫するため、財布の紐を引き締めなければならない中での久々の賃金の上昇である。全体の消費を押し上げるであろう。それが多くの企業の売り上げ増大に結び付き、全体の景気が上昇する。

新型コロナウイルスも収まってマスクが外され、人びとの動じが様変わりしている。ウイルスの影響は全世界的に鎮まり、経済活動が元へ戻りつつある。来日する外国人も増えて関連する部門が明るくなってきた。

長年にわたり低迷していた景気が上昇を始めれば雰囲気が変わってくる。先行きに対する不安が縮小して、人びとも企業も動きが活発になる。人々は安心して財布の紐を緩めるであろう。企業は先々のために投資活動を活発にすると考えられる。

それらが全体として需要を増やし景気をさらに引き上げる良い循環に結びつくことが期待される。長年にわたり望んできた景気上昇への転換への筋道である。

需要と共に供給力が重要

ところが理想通りにはいかない要因もある。賃金が上がらないところも少なくない。従業員の立場からは、うちの経営者はケチで給料を挙げようとしないとの意見が少なくない。しかし経営者としては逆である。一緒に働いている当社の社員にだけは他所よりも少しでも多くの給料を支払い、気持ちよく働いて貰いたいと願わない経営者はいない。

しかし賃金は今月だけではない。来月以後も来年も、それ以降も支払う必要がある。それは売り上げの見通し次第である。現実には長年にわたり売り上げが低迷し、先行きに対する見通しも、それほど明るいとは思われない。そのために無責任に給料を上げることはできない。景気が悪化して売り上げが減少し、支払う資金が無くなれば支払い続けることができなくなるからである。

ところが全体としての賃金が大きく上昇し、個人消費がよほど旺盛にならなければ現在の膨大な過剰在庫が無くならない。過剰な在庫の山を見ていると急いで買う気持ちにならない。作り過ぎが減らなければ人々の消費行動も大きくは変わらないであろう。

すなわち需要を拡大させることと共に供給を抑制することが必要なのである。人々が勤勉に働いでモノを多く作り出して自分たちの首を絞めている。残業をしてまで働いて全体の供給過剰を生み出していることを止めなければならない。

毎日が忙しくて遊びに行く暇もないと言われる。多くの人がゆとりをもって旅行に行けば旅行関係者が潤うことになる。サービス産業が繫栄し従事する多くの人が恩恵を受けるであろう。これが現在の低迷する景気を転換する道であり、その方向がこれまでも模索されて来た。

経済力の低下が心配

ところが事態は大きく変わってきている。コストの上昇のための物価高が直接の要因である。賃金は上がるものの、物価の上昇に追いつきそうもない。コストの上昇は世界的な原燃料の値上がりと共に円相場の下落によるところが大きい。

円相場を本格的に引き上げるためには輸出力を高める必要がある。ところが何時の間にか、わが国の生産力が低下して世界に売ることができる製品が減り、従来は国内で生産していた多くの製品を海外から輸入するように変わってきている。

産業の基本が変わったからである。長年にわたり日本の特徴は勤勉な人々が比較的安い給料で懸命に働き、高い品質の製品を作り続けた。その製品が世界を席巻し、日本を世界有数の経済大国にしたと考えられる。

その反対の動きを長年にわたり続けてきた結果が今日である。それでも依然としてモノが余り、売れ行きが思わしくなくて景気の低迷が続いている。

そこから脱却するために賃金を大きく上げ、働くことを減らすことが推奨されている。それは現在の問題の解決にはなるものの、長期的な国の経済力の低下を促進し、後戻りが難しい道であることを忘れてはならない。

 

---時局6月号P28-29への寄稿(2023.5.12---

   水谷研治の経済展望/問題点と対策Vol.45

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