政治情勢に翻弄される経済

---繁栄のために必要な国民の犠牲と尽力---

 名古屋大学 客員教授  経済学博士 水谷研治

「一寸先は闇」と言われる政治の世界では、とかく目先的な政策が優先されがちになる。

民主主義の基本は多数の意見に沿うことである、そのためには多数の人々の意見を尊重しなければならない。将来のことは分からないことが多いため、人々は遠い将来の理想よりも現実的な眼前の利害を優先しがちになる。それを反映し、悪いと思っても将来を犠牲にして現実の利益を優先することになりがちになるのが政治の世界である。

これに対し経済は連続的であり、基本的な所は簡単に変わらない。そのために長期的な観点で将来のことを考える必要がある。

もちろん国民の経済活動は毎日続いており、今日明日をはじめ来週も来月も極めて重要である。しかし同時に来年の計画が必要であり、5年後10年後のことも配慮しなければならない。特に生産活動などは、かなり長期の見通しが立たなくては始められない。しかも、それが将来の経済の帰趨を決めることになる。

経済活動は原則として自由に任せられている。どの程度の自由かは国により制度によって異なり、かなり細部にわたり統制が行われる場合もあるが、基本的には自由主義経済が好ましいと考えられている。それぞれの人が将来のことまで考えて行動する結果として、より豊かな社会が作られていくと思われるからである。現実には自由に行動する結果として、波に乗り飛躍する人が出てくる反面、波に飲まれて沈む人もいる。それらの人々を放置するのではなく救済することが必要である。そこに国全体の将来にわたる安定的な発展のために政治が担う重要な役割があることは間違いない。

負担を忌避し援助を求める国民

国民の暮らしはいつも苦しい。貧しい国では毎日満足に食べることができない。豊かな国ではモノが溢れているために苦労がないように思われるかもしれない。しかし買う資金が乏しいために欲しいものが手に入らない。人々が欲しいのは社会生活で必要とされるモノである。それは社会の豊かさによって決まってくる。豊かな社会で人並みに生きていくためには、それなりの支出が必要なのである。そのために、どれほど豊かな社会であっても大衆は原則として生活苦といつも戦っている。そこを理解して救済策を提供してくれる政治を大衆が求める。

多くの人々の要望に応じるためには膨大な資金が必要になる。ところが政府には資金がない。必要な資金は税金で集めなければならない。ところが国民は税金を出すのを嫌がる。他の裕福な人々や企業から税金を取り、自分たちには減税して欲しいのである。そして自分たちへの支援を求めている。その資金を自分が負担することがなければ、国民は支援の増額を要求するようになる。

それを政治家は民意として尊重せざるを得ない。選挙の度ごとに、その方向が政策の公約になり、選挙が終われば、その実現を選挙民から迫られる。

それが基本的な方向となると、短期的な幸せを追求するために、長期的な犠牲を払うことになる。

豊かな社会の落とし穴

社会が貧しい場合には、そのようなことは許されない。政府から支援が出ても、買うことができるモノがないからである。インフレに拍車がかかり、国民生活を破壊する。

逆に豊かな社会では簡単である。蓄積を食い潰せば良いからである。多くの国民が働くことなく安楽な暮らしを続けることができる。

その間に国民の考え方が変わってくる。働いて将来のために貢献しようとする気構えが無くなり、目先を格好良く楽しむことがもてはやされる。

それが長期間にわたって続くと、もはや国民の考え方を元へ戻すことは難しい。長期的な衰退がはじまる。

政治の方向を変えなければならない。短期的な問題よりも長期的な問題の解決がより重要なのである。それには大増税など国民の犠牲が不可欠である。しかも大増税の結果、目先の景気は大きく落ち込み回復の見込みもたたなくなるであろう。

しかしながら、将来にわたる日本経済の発展と繁栄のためには、すべての国民が大きな犠牲を払い、長期的な経済政策の運営を要請する以外に方法はない。

 

---時局3月号P32-33への寄稿(2023.2.10)から---

 水谷研治の経済展望/問題点と対策Vol.41

 

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