2022.9.1

緊急時への備え

―――将来に備えるのは我々の責務―――

        名古屋大学  客員教授  経済学博士  

 地震、津波、洪水などの大きな天災が何時起きるか分からない。人災も多様である。ウクライナの悲劇は決して我々と無関係ではない。それらに対する準備ができているはずであるが、予想を超える場合がある。そのために何段もの構えが必要になる。

 現実に大災害が発生すると、個人の対応力をはるかに超える場合が出てくる。肉親やご近所、市町村から最終的には国家の救済を待つことにならざるをえない。

そのためには常日頃からの心掛けが重要である。肉親の重要性を考えると若い時からの何十年もの将来を念頭に置かなければならない。それには両親からの教育が重要である。すなわち将来の子孫のことを考えての家庭教育が大きな役割を果たすように思われる。それが家族計画から人口問題へつながることは言うまでもない。

ご近所との普段からの交流は煩わしいと思われる向きが多いかもしれない。しかし緊急事態では極めて重要であることを思い知らされる。その延長として地域の重要性も忘れられがちである。身近な市町村のために日頃からどれほどの貢献をしているかを問われると、忸怩たる思いになるのは筆者ばかりではなかろう。

最後のよりどころは国である。ところが国民にとって国は最も遠い存在である。国民のために国家はあるべきであると言われることはあっても、逆に国家のために国民がいかにあるべきかを問われることは少ない。それが長年にわたり続くと、国民が国家を使い尽くして、国に余力が残らない現在のような事態になるのは当然ではなかろうか。

それでも平和で平穏であるかぎり問題は表面化しないかもしれない。しかし国難など異常事態が発生した時に慌てることになる。その時の為政者には打つ手がなくなっており、全国民が茫然と立ちすくむことになるであろう。

その責任は長年にわたり将来のための準備を怠ってきた国民にあると考えられる。そのような思いを子孫にさせるか否かが現在のわれわれ一人一人に問われているのではなかろうか。

 

---ISIDフェアネス-パーフェクトWebへの寄稿第237(2022.9.1)から---

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