2022.6.1

安全のコスト負担

―――経済水準の下落は不可避―――

           名古屋大学 客員教授 経済学博士 

 地震、津波、洪水などの天災が何時起きるか分からない。人災も多様である。ウクライナの悲劇は決して我々と無関係ではない。それらに対する準備ができていなければならない。予想を超える場合も出てくる。そのために何段階もの構えが必要になる。

 個人として企業としての最低限の貯えをどの程度にするかは様々であり、備える方法も多種多様である。貯蓄額は多い方が好ましいが、そのためには使うのを節約しなければならない。その貯蓄をどのような形にするかも難しい。折角貯め込んだ貯蓄が目減りし、場合によると無くなることもありうる。それだけに毎日の生活を犠牲にして守銭奴のように貯蓄をするのもほどほどにと思いたくなる。

 現実に大災害が発生すると、被害は深刻で広範囲に及び、個人や企業の対応力をはるかに超える場合が出てくる。最終的には国家による大規模な救済を待つ以外にない。その後は復旧、復興に膨大な資金が必要になる。国家はその準備をしていなくてはならない。相当な貯蓄が必要である。

 現実には我が国の貯蓄額はマイナスであり、莫大な借金を抱え込んでいて、しかも借金は毎年大きく増え続けている。

 方向の転換が必要である。目標は大規模な災害に備えるために国に大量の貯蓄をさせなければならない。先ずマイナスの貯蓄である国の借金を無くす必要がある。そのためには国民や企業が税金を大きく増やす以外に方法はない。

 現実にはその反対を長年にわたり続けてきた。税負担が少ないおかげで国民も企業も助かっていて、その分だけ豊かに過ごすことができた。それが半世紀も続いているのであるから、それが当然と思ってしまう。そのために今後も続くとの前提が暗黙の裡に作られているのではなかろうか。

 将来を展望すれば、転換が必要であるのは明白である。現実の経済は異常な借金によって大きく押し上げられているのであり、借金を減らしていく過程では、従来とは反対に経済水準を下降させる。そのための覚悟と準備が必要である。

 

---ISIDフェアネス-パーフェクトWeb への寄稿(2022.6.1)から---

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