モノ不足の経済

---国際分業体制の再構築を---

 名古屋大学 客員教授  経済学博士 水谷研治

 モノが有り余り、必要なモノは何時でも手に入れることができると考えられてきた。例外的にモノ不足となって困ることがあっても、程なくして、どこからかモノが供給されて元の状態に戻るため、モノが足りないことを真剣に心配することはなかった。

モノが余っていて売れなければ作り続けることができない。長年にわたり、いかにして売るかに懸命であった。品切れで顧客に提供ができないことはあってはならないこととされ、すぐに補充ができることも当然と思われてきた。

それらが様変わりになってきた。コロナウイルスの影響で半導体の不足が続き関連部門の生産活動に支障が生じて各種の部品が生産できなくなった。それらを組み込んで作る予定の工程が狂うと広範囲にわたる産業に影響が及ぶ。経済活動が低下してモノが生産できなければ、それらを使うことができなくなる。生産過程で働いている人々が職を失い、所得が減少して消費が減退する。社会不安の元にもなりかねない。それが経済活動をさらに妨げる。悪循環である。

品不足は悪いことばかりではない。無理な販売で値引きをする必要がなくなり、モノ不足を背景に値上げをすることによって収益が増加する企業も出てくる。そのために歓迎する向きもある。

ただし広範なモノ不足は物価の上昇を伴い。国民の生活を直撃する。それは多くの国が何度も経験してきていることであり、それが経済的な貧困の悪循環になり、回避する必要性を痛感していることである。しかし、我が国ではモノ余りが当然との経済が長年にわたり続いていただけにモノを創り出すことが極めて難しいことが忘れられている。

広範囲に及ぶコロナウイルスの影響

コロナウイルスの感染や死者の数は地域により国になって違っている。大きな影響を受けている国だけが経済活動を制限しているのではない。人々の交流を制約することが経済活動に影響を及ぼし、生産活動のみならず物流などを通じて世界の経済社会は広範囲にわたり支障をきたしている。

コロナウイルスについては懸命な研究の結果かなり分かってきたものの、依然として不明なことが多く、今後の見通しについても説が分かれている。しかし、いずれは収束するはずであり、その後は従来の経済社会に戻ることが期待されている。しかし、これほどの影響を及ぼしたのであるから、各種の教訓が得られたはずであり、各国とも対応を迫られるであろう。

国際分業体制の見直し

 長年にわたり我々が営々と築き上げてきた経済機構は極めて精緻であり効率的である。ただし、それらが順調に機能するためには、多くの前提がある。モノが豊富で必要に応じていつでも手に入れることができることがその一つである。そのための機構や準備も整えてきた。基本的には経済社会が安定的でなければならない。

われわれは効率的な体制を求めて長年にわたり国際分業を推進してきた。経済発展に伴って人手不足となり人件費が上がったことが大きな要因になっているが、多くの人々の長い苦労の結果として、ようやく達成した国際化である。

 国際分業が成り立つためには、関連する海外の情勢が安定していなければならない。海外進出に当たっては、それらが十分に検討されてきたはずである。ところがコロナウイルスの力は多くの人々の想定をはるかに超えるものがあり、世界中に甚大な影響を及ぼすことになった。

 まだまだ紆余曲折があるとしても、いずれコロナウイルスは収まるであろう。しかしコロナ問題が収束しても世界の経済が元へ戻ると安易に考えることはできない。

 長期的な課題として国際分業体制を再構築する必要がある。産業の国内回帰を考えなければならない。

それは簡単なことではない。特に重要なのは国民の考え方である。豊かな社会に生まれ育った人々は地道に勤勉に働く習慣を徐々に無くしてきているように思われる。汚い仕事、嫌な仕事は外国人に依存する風習がその典型である。極めて重大な課題が内在している。

 

---時局2月号への寄稿(2022.1.11)から---

   水谷研治の経済展望/問題点と対策 Vol.29

 

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