景気の引き上げを政策に期待していて良いか

---底辺から這い上がったあの体験--

 名古屋大学 客員教授 経済学博士 水谷研治

今年の暑さは地球温暖化のせいばかりではない。新型コロナウイルスの対応に右往左往させられる。正常化を望まない人はいない。しかし規制を緩めると罹患者が増える。その繰り返しがいつ収束するかの見通しが難しい。ワクチンの接種がようやく軌道に乗ったことに希望を持ちたい。しかしウイルスの変異が心配されるため出口が見えない。

対策は素早くキメ細かく大規模に 

人々の外出が制限されれば経済活動が低下する。その影響は深刻である。関連する業界や人々を救済しなければならない。対応を至急に実施することが必要である。該当する人々に的確に行き渡るようにしてもらいたい。思い切って十分な金額を用意するべきである。それらの要望が政府に向けられる。しかし、これらは極めて難しい。緊急事態であり、影響が広範囲にわたるためである。余力がないのは政府も同様である。四苦八苦して対応するのであるから各種の問題が生ずるのはやむを得ない。対応に追われるために混乱が収まらない。

多くの深刻な問題があるものの、政府が膨大な資金を対策に投入しているのは間違いない。それによって救済されている向きがある。景気の下支えにもなっている。コロナの波が収まり人々の経済活動が戻れば、景気も上昇する。元の軌道へ戻ることが期待される。

政策への過大な期待は不可

異常な緊縮が無くなれば、それまでに蓄えられた多くの資金が使われるはずである。個人の消費活動が戻るだけではない。先送りしていた計画が実行されて様変わりになることが期待される。それがきっかけになって活況を呈することが理想である。

部門によっては元へ戻るだけではなく拡大の波に乗ることも考えられる。しかし全体としての日本経済は依然としてモノ余りであり供給力が有り余っている。それが解消するところまではいかないであろう。一時的に縮小した反動で景気が跳ね上がっても、それをきっかけにして需要が需要を生み本格的な経済拡大への道へ進むとは思われない。

コロナ以前の日本経済は過大な供給余力によって景気が下押ししがちであった。それに対して政府による赤字財政によって需要を積み上げて経済水準を維持してきているのである。この水準へ戻るとしても、その程度で経済情勢が基本的に変わるとは思われない。水準を維持するには引き続き政府による無理な財政支援が欠かせないであろう。

問題は日本の財政状況である。膨大な赤字規模がさらに極端に拡大し、国債の残高は記録を大きく更新している。それに眼を瞑り極端な赤字を続けることができないわけではない。まだまだ当分の間は問題が表面化しないと筆者は考えている。ただし永遠にできることではない。

巨大化した財政赤字を縮小するためには財政支出の大幅な削減と大増税が必要である。それが景気を大きく引き下げることは避けられない。それがきっかけとなり大不況となり経済は破滅的で悲惨な状況になる恐れがある。それを考えると思い切った改革に踏み切れないのが現実である。結果として経済はじり貧の傾向をたどる可能性がある。

目先の落ち込みを恐れ過ぎるな

確かに不況を好む人はいない。しかし、それを恐れていては本格的な改革ができない。どれほど落ち込むとしても、かつて日本が経験した75年前までには行かない。

当時がどれほどの状態であったかを振り返ってみる必要がある。戦争に負けた時,われわれには何も残っていなかった。空襲で都市は焼き尽くされて住む家はなく、着る物もなく、国民は飢えをしのぐのに必死であった。主な工場は爆撃で破壊されて機械はなく、原材料も無くなっていた。政府も力がなく、誰にも助けを求めることができなかった。

ゼロからの再生であり復旧であった。ようやく戦前の水準へ戻るまでの道程は大変であった。そこで満足することなく、その後も経済成長を続けて世界第2の経済大国になったのである。一人当たりの国内総生産はアメリカを抜き去り世界最高に迫ったのを思い出す。世界の歴史に残ると思われる奇跡を実現したのが日本である。われわれは自信を持って覚悟を決め改革に取り組むべきではないか。

---時局9月号P26-27への寄稿(2021.8.10)から--- 水谷研治の経済展望/問題点と対策

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