2021.7.1

総合判断の難しさと経済への影響

   ―――オリンピック・パラリンピック開催の判断―――

     名古屋大学  客員教授  経済学博士  

 オリンピック・パラリンピックの開催判断は予想通り難航した。開催する場合でも開催しない場合でも選手は勿論のこと関係する多くの部門へ大きな影響を及ぼす。

専門家の意見を聴くべきであるとの意見も少なくなかった。しかし専門家にも分からないことが多い。専門家であるほど明確にはできないことを認識していると思われる。ところがメデイアはそれを許さない。無理にでも回答を求め、それを大きく報道する。焦点になった新型コロナウイルスの行方がその代表である。ウイルスの正体を確定するためには2年や3年はかかるであろう。それまでは各種の仮説があるだけで確定はできない。しかもウイルスが変化するのであるから新種がどの様な性質かを見極めるためにはさらに年数が掛かる。

 経済社会に及ぼす影響についても同様である。対策を講じた場合の効果や影響についても議論が尽きない。困難な大きな決定に対しては各種の異論があるのは当然である。難しい判断であるが誰かが決めなければならない。すべての情報を集め、それらを基にして総合的に判断する以外にない。そのための最終的な責任者を国民が選んでいるはずである。その決定に従って各人が最善を尽くす以外にない。

しかしながら当然に各種の大きな問題が生ずる。それらがメデイアで増幅される。問題点を取り上げて利用する向きも少なくない。政治に対する不信感が高まると経済社会がさらに混乱する。現実には不満が不穏な空気を醸し出し。政治的な混乱を招く恐れもある。それを鎮めるために政府は無理を重ねることにならざるを得ない。その結果、将来に禍根を残すことになりがちである。

 もちろん致命的な影響を受けるところも少なくない。それには別途、救済措置を急ぐべきである。それらを含めて財政面から救済と支援をするのが常道である。その財源として国が国債を増発することになる。わが国ではそれができるだけに将来を犠牲にして目先の危急を避けようとする。この現実を我々はわきまえている必要がある。その咎めが将来深刻な影響をもたらすからである。

---ISIDフェアネス-パーフェクトWebへの寄稿(2021.7.1)から---

 

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