目先の大問題と共に将来のことも俎上に

---より重要な将来の負担と対応---

 名古屋大学 客員教授  経済学博士 水谷研治

 五月晴れで誰もが喜ぶとは限らない。折角の行楽シーズンにもかかわらず、思い切って羽を伸ばすのがはばかられる。新型コロナウイルスの顔色を皆がうかがっている。ワクチンが行き渡りつつあり、その効果が期待されているものの、ウイルスの変異によっては別の波が来ると脅される。ウイルスが湿気に弱いと聞くと、例年は皆に嫌がられる梅雨が待ち遠しくなる。

 

大自然の脅威

 ところが梅雨は大雨から大洪水をおこすことがある。地震、津波、大雨など大きな災害が毎年のように起きている。世界でもハリケーンによる大被害、大河の大氾濫やイナゴの大発生による悲惨な状況など大自然による大災害が伝えられている。規模が大きく広範囲にわたると、社会に不満が鬱積し爆発しかねない。時の政府に対して過激な行動を引き起こすこともある。その結果、混乱が拡大するのを抑えるため政府は総力を挙げて救済に邁進しなければならない。

 新型コロナウイルスの被害は世界中を巻き込んでいる。その中では被害が小さいわが国でさえこの状況である。欧米をはじめ多くの国々は悲惨である。国民の自粛にまかせられないと強力に規制せざるを得ない。外出を厳しく制限され在宅を強制されると、影響は大きくなる。人々が外出を制限され、お客が来なくなると多くの商売が成り立たない。それが長引けば影響は深刻である。職場が無くなり、職を求める失業者が増加する。収入が無くなれば使うことができず、消費が減少すると売れなくなる。悪循環になる。それが多くの部門で起きれば経済活動が縮小する。

 政府による大規模な支援が要請される。ところが、どこの国でも政府に余力があるわけではなく、すでに限界に達しているところがある。我が国でも地方自治体で苦吟しているところが増えている。世界的には、すでに限界を突破している国がある。

 

 大規模できめ細かい対策の限界

甚大な被害に対処するためには国の総力を振り絞らなければならない。下降する景気を食い止める必要もある。膨大な資金を出し惜しんではならない。それをどの分野に提供するかが問題である。最も被害を受けているところへ行き渡らせなければならない。そのためには実情に合ったきめ細かさが必要と言われる。それが政治の場で繰り返し主張され議論になる。報道機関が何度も強調する。

ところが緊急を要する大規模な対策にきめ細かさを求めても難しい。そのためには普段から莫大な資金と人材を充て機構を整えて準備をしておかなければならないからである。もちろん個人でも企業でも国家でも災害対策の準備はしている。しかし大災害はそれを大きく上回るために発生するのである。

大きな難しい決断が必要である。それまでに選んでいる指導者を信頼して任せる以外にない。現実は反対に、この機会に首脳部の足を引っ張り政治の流れを変えようと画策する動きがどこの国でも出てくる。あるべき方向を冷静に見定め、国力を集中しなければならない局面であるにもかかわらず、逆に予想もしなかった悪い方向へ進むこともある。

 

必要な将来への備え

 当面の対処に総力を挙げることは当然である。被害者の救済が第一である。続いて復旧を図らなければならない。さらに重要なことは再び大きな被害が起きないようにすることである。治山治水をはじめ、道路や橋梁の点検・補修などやるべきことは多い。今回の新型コロナウイルス禍で明らかになったこともある。医療機構を総点検して次の疫病に備えなければならない。

 そのためには莫大な資金が必要である。それは一部の人や企業で賄える額ではない。広く全国民が長期にわたり背負うべき金額である。それだけ大量の税金を納めれば、国民の支出は大きく減少し経済水準は急落する。それが分かっているために準備のための負担という重要な問題を棚上げしてきた。

早急に問題を俎上に挙げる必要がある。その影響が大きいだけに、企業も個人も覚悟を決めて対応に当たらなければならないからである。

 

---時局6月号P28-29への寄稿(2021.5.7)から---

   ---水谷研治の経済展望/問題点と対策---

 

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