戦中、戦後の体験からの遺言

    2021.3.31       水谷研治

 「戦前生まれから日本への遺言」を求められて書き残したことがある。(文芸春秋20169月号P298-299)それから5年経つが新しい考えもなく進歩がない。

 大東亜戦争の開戦は国中が高揚感に包まれた。特に快進撃を続けた初期の盛り上がりは凄かった。しかし長くは続かなかった。

悲惨な敗戦で多くの人が亡くなり、アメリカ軍の空襲で中小都市まで焼き払われていた。生き残った一億の国民は満足に食べることが出来ず、着るものがなく。まさに、どん底の毎日であった。白米のご飯を食べてみたいと思っても、かなわぬ夢でしかなかった。その日暮らしで誰もが一日一日生きていくのに精一杯で将来に対する夢も希望もなくなっていた。

 日本が復興できるとは思えなかった。

しかし現実は違っていた。急速度に復旧し、その後も急激な経済成長を続けた。国内総生産はゼロに近い所から拡大を続け、世界第2の経済大国になった。一人当たりの国内総生産はアメリカを抜き去り、世界の最高に迫った。

 ところが1990年代へ入ると日本経済は成長しなくなった。ほとんど横ばいで右肩下がりの兆しさえ見える。この間も政府は財政金融政策を異常なまでに利用して懸命に景気の刺激を続けてきた。それにもかかわらず現実の景気が停滞しているのである。

 経済社会の動向には国際情勢など多方面の要因が大きな影響を及ぼす。その中にあって、これほどの激変の基になるのは国民の資質ではなかろうか。国民が勤勉で向上心に燃えていれば高い成長を続けることが出来る。周りのため社会全体のために貢献しようとする人が多ければ、国全体が繁栄を続けるであろう。 

ところが今日のように豊かになると、勤勉に働くことが軽視されがちになる。より良いものをより効率よく創り出すことがモノ余りを助長するだけに、その反対が奨励される。モノが溢れているのであるから、それらを消費することがより重視される。

膨大な生産余力があるため、それを使い尽くすまで国民は豊かな生活を満喫することになるであろう。国の借金である財政赤字を増やせば実現することが出来るからである。

それが今後何年も続けることが出来るだけに、その間に国民の資質は低下を続けると思われる。その結果、わが国の生産力は低落し、モノ不足経済へと転換し、それが加速していくであろう。インフレ経済になり、インフレが高進して国民生活は低下を続けることになると思われる。

日本経済は多くの先輩諸国、経済大国のたどったように衰退の坂を転がり落ち続けるのではなかろうか。

大至急で転換を図らなければならない。しかし転換すれば、とたんに大不況になり、それが長期間続くことになる。これまでに累積させてきた膨大な国の借金を返済しなければならないからである。その深刻さを十分にわきまえたうえで、覚悟を決めて大改革を断行し続けなければならない。

日本経済は大きく落ち込むであろう。ただし、どれほど落ち込むとしても76年前、わが日本が体験した悲惨なところまではいかない。あれほどの、どん底からでも世界の歴史に残る大発展を遂げた日本である。自信をもって大改革を断行するべきである。

そのためには国民の一人一人が勤勉性と向上心を燃え立たせるとともに、周りのため国の将来のために努力することに歓びを見出すようにしたいものである。その結果として永遠の発展を続ける幸せな日本にしたいと念願している。

 

 名古屋大学経済学部1956年卒業生の会である望洋会のホームページが最終回を迎えることになった。

 これまで長年にわたり続けることが出来たのは、ひとえに編集と掲示をご担当いただいた佐藤治氏と中山明俊氏の献身的な努力のおかげである。両氏に対して心からの御礼を申し上げます。

 

 ---名大望洋会(続)マイオピニオン最終回への寄稿(2021.3.31)から---

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