2020.12.1
緊急対策の終結は難しい
―――将来への禍根―――
名古屋大学 客員教授
経済学博士 水 谷 研 治
大災害が発生した場合、緊急対策が発動される。大至急で思い切った大規模な対策が必要である。些細なことに配慮する余裕はない。当然に各種の問題が付きまとう。
大量の人材と資金が必要である。重要な人材を引き抜かれた現場では仕事が回っていかない。できるかぎり早く元へ戻さなければ困る。大量の資金の手当てが必要である。資金はいくらあっても足りない。
次々と要望が出てくる。どこかでけじめを付けなければならない。ところが一旦始めた対応策を取り止めることは極めて難しい。大きな災害であればあるほど被害が大きく、復旧に期間が掛かり規模も大きくなる。関係者も多くなり、少しでも支援の上乗せが要請され、それを削減したり終了することは許されない。
その結果、大綱だけではなく細かいところまで対応を迫られる。対策の規模を縮小できないだけではなく、拡大しなければならない。それがあらゆる政治力を動員して主張される。それに反する言動に対しては、現状を無視した無慈悲な輩と非難され袋叩きに会う。そのように損な役割を引き受ける人は少ない。
緊急事態に対処するためには平素から準備をしておくべきである。分かっていても難しい。準備をした以上の深刻な事態になることもある。そのような場合には将来を犠牲にしてでも対応しなければならない。
大規模な対応のために必要な資金は莫大である。それを借金に依存するとすれば、それを将来返済する必要がある。その負担は大変である。本来なら一日も早く事態の収束を図り、正常化して積み上げた借金を返済しなければならない。借金が大きければ、返済には長期間が掛かる。その間、従来以上に働いて手にした資金を返済に充てるのである。生活水準も経済水準も低下するはずである。
それが分かっているためか、このことに触れられることがない。だからと言って、この道理から逃れることはできない。それへの準備がすべての人と企業には必要である。
---ISIDフェアネス-パーフェクトWebへの寄稿(2020.12.1)から---