初の物価白書    (名古屋大学 客員教授           

 池田内閣が発足し、所得倍増計画が掲げられて経済が高い成長を目指し始めると、国中に高揚感が広まった反面、消費者物価の上昇が目立ってきた。

物価の上昇が国民の消費生活に好ましくないことは明らかである。テレビや新聞で各種の値上がりの問題が取り上げられ、国会で野党からの追求が繰り返された。

 政府として消費者物価の抑制は重要な課題になった。それを担当したのが経済企画庁調整局の物価政策課であった。かつては統制経済の要であった物価庁が大規模な組織と人員で権勢を誇っていたものの、時代が変わり機能を極端に縮小して物価政策課として残っていた。課長と課長補佐と事務官の3人が大蔵省から来ていた。そこへ東海銀行から出向した小生が部員として加わった。有能な事務官一人はいたものの以上のごく少数ですべてに対応せざるを得なかった。物価に焦点が当たり続け、あまりにも多忙になったため増員に次ぐ増員となったのは、しばらくたった後のことである。

 物価の実情を把握し、先行きを予測して対策を立て、施策を実行するのである。物価政策課が独自に実行できる分野は限られていて、多くの物価は各省が関与している。たとえば米価は農林省、電気ガス料金は通産省、運賃は運輸省といった具合である。関係する各省と折衝する必要がある。政府が直接決定する公共料金だけではなく、一般物価に影響する分野にも各省を通じて値上げを抑え込む必要がある。ところが、それぞれの部署では本来の政策目標があり、物価だけに配慮することができない。折衝は難航した。

 国会の開会中は大臣答弁の想定問答のために深夜になるのが当然と思っていた。ただし総理大臣の答弁案だけは課長補佐が自ら作成し、小生には手を触れさせなかった。

 物価の状況と政府の対応を国民に広く示すことが必要であるとの判断から「物価白書」を作成することになった。

 初めてのことであり、構想から内容の計画、草案の作成と検討調整に奔走することになった。関係する省庁は多い。しかも利害が衝突する。一言一句が問題になる。各省の特性が出て大変参考になった。役所らしい役所は伝統のある農林水産省、反応の早かった文部省、比較的柔軟であった運輸省、反対に難航したのは通商産業省で最後は大臣折衝にまで持ち込まれてしまった。

 すべての調整が終わり、最後に経済関係閣僚懇談会で事務次官から報告することになった。その場に課長と陪席することになったのは貴重な体験であった。

 その後も毎年、物価白書を作成しようとする意見はあった。しかし、あまりにも多忙な中でほとんど不可能であると言って止めることにした。そのため最初で最後の「物価白書」となった。

 

---経友2020.11.72P5 「初の物価白書」 経友会03-6257-1602nobukisugia@gmail.com 「話のカゴ」---

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