どん底から大発展を遂げた日本の”復活力”に期待

水谷研治の経済展望/問題点と対策

      名古屋大学 客員教授   経済学博士 水

 

明るさの見えない将来

 新型コロナウイルスの第2波が心配である。規制を少し緩めただけで感染者が増える傾向が見られる。3蜜を守ることが要請される。そのための工夫が多方面で凝らされている。新しい働き方がもてはやされている。しかし3蜜を守ると客商売など多くの場合、採算が取れない。多くの職場では人々が相互に密接に連携しながら効率よく作業を進めている。それが許されなくなれば効率が落ちる。業務が回らない。経済社会の被る影響は相当な大きさになると考えられる。経営が成り立たないために人員整理が増え、失業者が増えていく。収入が減るため購買力が低下して需要が減少する、売れなければどのような産業でもやっていけなくなる。

 政府は懸命に救済策を打ち出している。しかし全体の経済が影響を受けているのであり、政府がどれほど懸命になろうとも限界がある。

 国内が不況になると海外へ活路を求めるのが常道であった。しかし新型コロナウイルスの影響は海外のほうがさらに深刻である。多くの産業が長年にわたり進めてきた国際化が裏目に出ている。それを見直して体制を整え直さなければならない。それには気の遠くなるような努力と犠牲が避けられない。経済構造を再構築するためには相当な期間がかかるであろう。その間は経済の低迷を覚悟しなければならない。

 

改革には犠牲が必要

 全世界を巻き込んだこれほどの大変化はまれである。その時のために準備が必要であった。ところが我々はその逆を進めてきた。目先の景気を維持することに力を注ぎ、体力を消耗してきた。長年にわたりデフレ対策として需要を無理に押し上げてきている。個人には貯蓄よりも消費を奨励し、企業には内部留保を増やし過ぎと批判して賃上げや配当の増加を促し、国家財政を犠牲にして減税と社会保障などに大量の支出を続けてきた。そのおかげで今日の豊かさがあることを忘れて、さらに景気の上昇を求めているのではなかろうか。

それはもはや不可能である。これから先の難局を乗り切るためには、従来とは反対の方向へ経済体質を変える必要がある。もう一度、筋肉質の日本経済に立て直さなければならない。大改革が必要である。国民が従来よりも格段に勤勉に努力することが大前提である。その成果を自分が使うのではなく、留保する必要がある。それを将来のより大きな発展のために役立てることが求められる。それが本当に役立つかどうかは分からない。将来性については不確実なためである。それでも、そのような種蒔きをしなければ将来に期待することはできない。

 

偉大な日本民族の復活力

そのような無理は不可能と思われるかもしれない。しかし、我々には貴重な体験がある。75年前われわれは戦争に敗れ一旦どん底まで落ち込んだのである。アメリカ軍の空襲によって大都市は勿論のこと中小都市まで壊滅し、住むところがなく、工場は廃墟となって物を作ることができなくなった。鉄もアルミも戦争のために使い尽くし、原料も燃料も機械も道具もなくなっていた。着る物がなく、毎日食べるものがなく、飢え死にしなかったのが不思議なほどであった。何もないところからは何も生み出すことができない。将来に希望はなく、永遠にどん底の生活が続くと思われた。

そこからの再出発であった。東西冷戦の激化する中で日本が多くの幸運に恵まれたことは間違いない。しかし一人一人の国民が必死で働かなかったら実現していなかったであろう。紆余曲折はあったものの、急速に復興して戦前の経済水準へ戻っていった。その後も急角度の成長を続け、世界第2の経済大国にのし上がっていった、そこからさらに成長を続け、一人当たりの国内総生産でアメリカを抜き世界最高に近づいたのである。

世界の歴史に残るであろう奇跡的な回復から高度経済成長を実現した日本である。われわれにはその体験がある。当時と比べれば、今からどれほど落ち込んでも心配することはない。将来の発展のために、大きな落ち込みを覚悟したうえで大改革に取り組みたいものである。

 

---時局9月号P26-27への寄稿(2020.8.7)から---

inserted by FC2 system