都市銀行懇話会     名古屋  水谷 研治

 

 資金が有り余って困り抜いている事態が続いている。資金は足りないのが普通であると言っても信じてもらえない。しかし長い間、原則として資金不足の状態であったため、資金を求める多くの企業が銀行から融資を受けようと懸命な時代が続いていた。それだけに銀行の力は絶大であった。

 銀行の大手が都市銀行一三行であった。ところが都市銀行として協会があるわけではなく、一堂に会する機会はなかった。経済社会で大きな役割を担っている都市銀行として相互に自由に話し合う場を持ちたいとの考えで都市銀行懇話会が発足した。

 幹事が持ち回りで東海銀行は東京駐在の谷専務取締役が担当することになった。都市銀行の中で五番目に大きく東海地区を中心に絶大な役割を果たしている東海銀行であったが、全国の銀行を取りまとめるような経験がなく、不安視する向きもあった。

 結果としては心配なく、上々の出来であった。論客そろいの各行の専務・常務に対し当月の課題を示して存分に意見を述べさせ、相互の信頼関係を高めることができた。そのうえ時には論点をまとめて提言し、東海に谷専務ありとなった。預金保険の創設はその一つであり、預金保険制度は後の銀行再編の隠れた力になっていった。その過程では主要行との連携や大蔵省との打ち合わせがあり、それら有力な人々との親密な関係は後に谷頭取になってからも東海銀行として陰に陽に大きな力になったと考えられる。

 その裏方を担った筆者も貴重な体験をした。月例会のために予め三つの論題に絞り、その詳細を谷専務と綿密に協議して一つを決定した。パレスホテルでの昼食後の懇話会では記録を取り、あとで谷専務と確認し、場合に応じて行政を含めた関係者と連絡を取った。会員の専務・常務はじめ関係の皆様が大変親切にしてくれたことが思い出される。

        (みずたに けんじ)  昭和三一年入行

---東友50号(東友会(東海銀行卒業者の会)会報 2020.5.1P25---

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