政治の目標は短期、されど経済は長期志向で

 名古屋大学 客員教授   経済学博士 水谷研治

 

人気が重要な政治

 国民が国家に求めるものは多種多様であるが、中でも重要なのは身の安全と豊かさであろう。それらは本来、個々の人が自分の裁量で確保するべきではあろうが、個人の力では限界があり、国としての対処が必要なものがある。

 外敵からの防衛は最重要事項であり、外交と国防は大前提である。安定した社会も必要であり、そのための社会機構も整備し維持されなければならない。それらが満たされると、安全と安心が確保されて人々は国に対して豊かさを求めるようになる。

 国家の大きな方針を決め、実現を図るのが政治である。政治家は将来のあるべき姿を国民に示し、その実現に向かって国民を督励する必要がある。

ところが理想が高ければ高いほど、それを達成するためには多大な努力と犠牲が必要になる。それを直感的に悟るためか、国民はそのような高い理想よりも身近な問題に関心を寄せがちである。

高邁な将来の理想を聞きたい人は多くないであろう。そのような絵空事よりも現実に困っている課題を解決して欲しいと願う国民が多数と思われる。目先の幸せを願い、少しでも豊かになりたいと思うのが普通である。「負担は少なく、成果は大きく」と願うのが正直なところである。

そのような国民の意向を政府は無視できない。多くの国民の意向に逆らえば、やがては政権の座から追われることになるからである。民主主義の基本と言われる選挙が良くも悪くもその役割を果たす。そのため政府は目先の具体的な問題の解決を重視せざるをえない。

 

より重要なのは将来の経済

 現在の生活が重要であることは当然である。それを維持していくだけでも容易ではなく、これまでに引き継いだ経済基盤を基にして努力を続けなければならない。しかし、どれほど大変でも、今だけよければ後のことは構わないと考える人はいない。将来はより豊かになりたいと誰もが願っている。

企業の場合はより切実である。今年だけではなく翌年の計画も立てなければならない。大切な従業員の将来を考えると、より長期的な展望と施策が必要である。

より良い将来の為には努力や犠牲が必要であることは誰もが知っている。だからこそ、現在の楽しみを我慢して将来に備えている。消費を節約し将来の為に投資に充てている。それらの投資が実るとは限らない。それにもかかわらず、将来を目指して投資をしなければ、より良い未来が期待できないからである。

国は逆に、将来を犠牲にして当面の幸せを手に入れようとする。国家としても将来のためにやるべきことは多い。本来なら経済の長期にわたる発展のために政治が尽力するべきである。しかし現実は難しい。将来を目指して、より大きな犠牲を求めても国民がついてこないためである。

 

個人と企業は将来に備えを

将来への備えを止めて今ある資金を使ってしまえば、より豊かな生活を享受することができるのは個人だけではない。企業も将来の為に保留する資金を使い給料を大幅に上げ、配当を増やせば、従業員も株主も喜ぶ。

全部の資金を使い果たせば、それ以上は使えないと心配する必要はない。借金をして資金を得て使えば、さらなる幸せを手にすることができる。分かっていても、そのようなことを試みる人は少ない。その借金が将来どれほどの負担になるかを考えるからである。

しかし、目先を重視する日本の政府は、国民の意向に沿って財政支出を増加させてきた。本来は不足する資金は増税によって賄わなければならない。ところが増税は国民がもっとも嫌うところである。しかも増税すれば個人や企業の支出が減って景気が悪くなることは明らかである。そこで不足する資金を政府は国債を発行し、借金をして国民と経済を支え続けてきた。

それが習い性になって、今では“異常”と思われることもなく、逆に当然とみなされている。そのために、将来の国民の負担になる国の借金の恩恵に浴している感覚が、国民には乏しいように思われる。

政治が短期志向である現実を認識し、それだからこそ個人も企業も経済の将来に備える必要がある。

 

---時局5号への寄稿P26-272020.4.7)から--- 水谷研治の経済展望/問題点と対策

 

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