災害復興と防災

       水 谷 研 治

災害列島の宿命

 わが国は全国どこでも地震、台風、大雨それらに伴う各種の災害に襲われる恐れのあるところばかりである。

「そのような恐ろしい日本に住むのを止め、こちらへいらっしゃい」と外国人に言われたことがある。

 毎年どこかで大きな災害が起き、多くの犠牲者が出ている。救済のために自衛隊の出動を要請する例が少なくない。生存者の確認や救済と治療の体制が組まれる。続いて食料・飲料の供給が必要になる。

 被害が広域の場合には、他の地域から救援しなければならない。道路網の復旧を急がないと必要な物資が運べない。電力の復旧も緊急である。

 政府は救済と復旧のために総力を挙げる。大量の資金が必要になり、災害復興の特別予算が組まれる。

 自然の力は偉大である。予想を超える力が人間の想定をはるかに超える場合がある。その一方である程度は予想できる場合もある。老朽化が進んでおり、災害が起きた場合に大きな被害に結び付く危険性が予想される。

 

防災に力点を

 事故が発生した後で、その事後処理と復旧にかかる手数と費用は、予防のために必要な量を上回る。分かっていても予防のための措置が手抜きになることが少なくない。現実問題として手数と費用が出しにくいからである。

絶対的に人手が不足しているうえに費用が捻出できないことが多い。点検や補修は長期間にわたり継続する必要があり、時として多くの費用が掛かる。本当に起きるか、いつ起きるか分からない災害のために、それだけの力を割くことが難しい。いろいろな理屈をつけて後へ後へと対策が先送りされる。

 身近で問題が明瞭な場合には処理せざるを得ない。個人の日常生活に関するものはその類が多いと思われる。企業になると、多くの分野についての将来の問題点を把握することが難しい。

しかも大きな問題になるほど全社をあげて取り組まなければならない。その困難さを考えれば、とりあえず先送りしておこうとする誘惑に駆られる。そして一旦先送りが始まると、どこかの段階で方針を転換することが難しくなる。より多くの手数と費用が掛かるようになっていることが多い。以前の担当者の責任問題になることもある。

 国家の場合、この傾向が強くなる。災害対策として防災が重要であることは誰もが知っている。しかし予算がないため公共施設の保守点検がおろそかになる。治山治水といった長期にわたる対策が後回しになる。

 

将来のための負担

 そろそろ方向を転換しなければならない。

企業としては、将来のためのことを重視し施設を整備し防災体制を強化することが重要である。それとともに予想できない事態に備えるために、内部留保を厚くする必要がある。貯めこみ過ぎとの非難を気にする必要はない。

 国家としては必要な防災に資金を回さなければならない。その資金は基本的に国民の税金である。それが多額に上ることは国民や企業の負担が増えることである。それが政府の評価を落とすことが懸念される。そのうえ個人や企業の支出を抑えることにつながり、全体の需要を縮小させ、景気を下降させることが心配される。

 ただし国家の場合には、税金で吸い上げた額が公共投資などとして支出するため、全体の需要としては増減がなく懸念には及ばない。税金の負担が一般の国民と企業であるのに対し、公共投資など政府支出の恩恵に浴するのは関係する分野だけになる不公平については仕方がない。

 むしろ財政に焦点が当たると、膨大な財政赤字と長年にわたり累積した巨額の国債残高を削減せざるを得なくなる。それこそ長期的な防災の大前提であるためである。それがどれほど大きな影響になるかを考えなければならない。経済が長期的に大きく縮小するからである。その対応が必要である。

 

---時局2019.10号への寄稿からP32-33水谷研治の経済展望---問題点と対策---

 

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