危機への備え ―――長期的な準備を―――

  2019.9.1  名古屋大学  客員教授  済学博士  

 災害列島に住む我々としては、いろいろな災害に備える必要がある。地震、台風、大雨など避難の方法から非常持ち出しの準備など、今の自分の問題は自分しか対処できない。後のことは後で考える以外にない。自分以外のことはそれぞれが対処するしか仕方がない。

 結果として将来にわたる安全性の確保が後回しになる恐れがある。それは個人としても企業としても国家にとっても共通する。対策には長い期間がかかり、資金的にも大きな負担になるためでもある。

個人や企業の場合は後で自分たちに降りかかることである。毎日の費用を節約して準備をする必要があり、それぞれが懸命にやっていると考えられる。

問題は国全体のことである。その典型が国家百年の計である。国民が力を合わせて実行しなければならない。しかし先ず必要性についての意見がまとまらない。必要なことが分かっても、とりあえず目先の問題が優先される。負担が全国民に及ぶため政治が主導的な役割を果たさなければ実現しない。しかし目先を重視する選挙では主要な課題になることはない。論議することさえ後へ後へと先送りされている。

自然災害の対策として治山治水をはじめ公共施設の保守管理と更新など大至急で取り掛かるべきものが多い。人災の代表である国防のための外交と防衛を充実する必要がある。基本となる国家財政の改革を断行しなければならない。

それらを実行していないために費用の負担がなく、現在の我々は助かっている。おかげで豊かさを謳歌していると言っても良い。将来のために必要なことを国がやると、国民の負担は膨大になる。個人の生活水準が大きく落ちるであろう。それが全体の需要を押し下げ、景気が下降して企業経営の環境が悪化する。悪循環になる。それを長期間覚悟しなければならない。その準備が国民や企業にできているとは思えない。

それは我々のためよりも将来の国民のためである。そのための準備こそ危機への対応の要点ではなかろうか。

 

---ISIDフェアネス-パーフェクトWebへの寄稿(2019.9.1)から---

 

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