廃墟からの再出発

        名古屋大学 客員教授   水 谷 研 治

七四年前の悲劇

 大災害の現場は悲惨である。寝るところを失い、着のみ着のままで、食べ物も水もない。今日明日をどのように生きていくか考えようがない。茫然自失は当然である。

 近所や他の地域からの応援が必要である。飲料や食料、緊急物資だけではなく、復興のための資材も道具も機械も総動員して復興に当たらなければならない。

 大きな災害が一部の地域だけではなく全国となると、全国民が被害者となり、助ける人がいなくなる。国中で、あらゆる資材も道具も無くなる。手の打ちようがない。

 それが七四年前の我が国であった。大戦争を遂行するために貴重な人材をはじめ、すべてを犠牲にした。そして敗れた。アメリカ軍の空襲によって主な工場はもちろんのこと中小都市までも壊滅した。原子爆弾を投下された広島と長崎はもちろんのこと、東京では一〇日未明の空襲だけで約十万人が死んでいる。あらゆる原料も燃料も道具も機械も無くなった。

すべてがなくなると、そこからは何も生み出すことができない。物がない悲惨な状況は永遠に続かざるを得ない。夢も希望も消え失せる。

 

奇跡の復興から急成長へ

 戦後の日本は、そうしたどん底からの再出発であった。しばらくして、ようやく国民が飢えることなく食べられるようになった。着られるようになった。粗末でも道具が手に入るようになった。

そこからさらに上を目指して人々は懸命に努力を重ねた。

やがて粗悪品であった日本製品の質が向上していった。世界に冠たる日本製品が誕生し、世界を席巻するようになった。

急激な経済成長を続け、世界の最高峰を窺うところまで行ったのである。

七四年前の惨憺たる状況からは考えられない奇跡である。世界の歴史に残る快挙であった。

それを実現させたのは日本民族である。我々にはそれだけの力がある。その力を発揮するのは我々の意志である。

本気になって努力を続ければ、図りしれない成果につなげることができる。

 

意欲を失くした国民

残念ながら現在では、そのような意欲が国民に乏しくなっている。それは豊かで安定した平成時代の恵まれた環境が生み出したものであろう。

経済が成長しなくなって久しい。たとえ意欲的に行動しても成果となって報いられることが難しくなった。

無理をして苦労し、結果として周囲に迷惑を掛けるよりも、無駄な動きをしない方が歓迎される。

社会保障が手厚くなり。高望みをしなければ、飢えることはない。社会全体が豊かになったおかげである。

無理に働く必要はない。過労死が問題になる。労働時間を短くして、皆で消費生活を楽しもうとする。目先の自分の生活を豊かにすることだけに注目が集まり、将来のこと国全体のことに関心が向かない。

問題が起きれば政府が対応してくれる。多くの深刻な天災にも、迅速な施策で課題を乗り切ってきた。

海外で発生したリーマンショックのような重大な事件に対しても凌いできている。今後もこの調子で政府がやってくれるので、国民があくせくと考え行動する必要がない。

そうして、いつの間にか現在の日本国民の生活水準が将来を犠牲にして維持されていることが忘れられている。

 

大改革に不可欠な大下落

国家に莫大な国債を発行させて現在の経済水準が維持されている。その限界が来る前に一年でも早く転換を図らなければならない。

それには現在とは真逆の改革が必要である。国民皆が懸命に働いて、その成果を国の借金返済に充てる以外にない。

当然われわれの生活水準が大きく低下する。それを長年にわたり続けなければならない。国の経済水準は大きく下落する。

一時のわずかな状況悪化も避けたいと考えている限り、そのような大改革ができるはずがない。その結果、永遠の衰退が始まる。

我々はそのような経済情勢の悪化を恐れすぎているのではないか。たとえどのように悪化するとしても、七四年前のような事態までにはならない。

たとえそのような状況からでも今日の隆盛を作り出すことができたのである。その経験をもう一度振り返り、将来の日本のために大改革に踏み出すべきである。

 

--時局20199月号P32-33水谷研治の経済展望---問題点と対策---への寄稿から---

            

 

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