名古屋大学
客員教授
経済学博士 水 谷 研 治 2019.7.1
赤字と借金の限界
―――貧乏人は短小、経済大国は長大―――
赤字は収入よりも余計に使う分である。手持ちの資金が乏しい貧乏人としては赤字分を借りなければならない。借りられれば、その範囲で赤字を出すことができる。
借金は返さなければならないが、収入の少ない人には難しい。そのために借金には限界があり、赤字を出すことができなくなる。分かっているだけに、自制心が働く。赤字にするな、借金するな、と。
裕福な金持ちや蓄積の豊富な企業は、資金が豊富にあるためにいくらでも赤字を出せる。赤字が続いて資金がなくなれば借金すればよい。金持ちや優良企業はいくらでも借金ができる。赤字を出し続けることができる。
それでも、やがては限界が来る。それまでに改革して赤字を無くし、大きくなった借金を減らそうとする。
国の場合は限界が見えにくい。特に裕福な経済大国の場合には、大赤字を何十年続けても限界に至らない。したがって、赤字を無くそうとか、借金を減らそうとする改革の意見が出にくい。
国の財政改革には痛みを伴うからである。収入を増やすために増税が必要であり、一方では支出を減らさなければならない。それらの当事者が犠牲を払わされるのは当然である。その結果、国全体の景気が下降する。好ましくないことばかりである。
もちろん限界になれば、あるいは限界が近ければ、改革が必至である。ところが我が国の場合には膨大な過去の蓄積があり、まだ供給力の余力が残っているため、当分は改革の必要がない。
不人気な改革論を唱える人が少なく、逆の積極財政論が幅を利かせている。すなわち増税に反対し、社会保障費をはじめとした支出については削減ではなく手厚くと主張する意見が横行している。
過去半世紀にわたって続けてきた赤字財政はまだまだ続くであろう。それは現代の我々には有難いことである。財政改革に伴う大きな落ち込みをさらに先送りして、豊かな経済を続けることができるためである。
その間に限界がきたときの激烈な変化の準備をする必要がある。
---ISIDフェアネス・パーフェクトWeb根の寄稿(2019.7.1)から---