「景気ウォッチャー調査」の誕生

 ―――堺屋太一大臣の熱意―――

 

       

            水 谷 研 治

 

 堺屋太一氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 経済企画庁の堺屋太一大臣とのテレビ出演の後の雑談から「景気ウォッチャー調査」を始めることになった。

 各種の経済指標を参考にして経済の現状を把握し先行きを検討しているものの、それらの指標が集計して発表されるまでには期間がかかる。すなわち多くの経済指標はやや古い状況を反映している。

 身近な実情を知り、将来の見通しに反映するために、景気の実態を実感している人に教えて頂いていた。タクシーの運転手であり、飲み屋のおかみさんであり、小売店の売り子である。全国の各地へ講演に出る機会が多かったため、各地の貴重な実情を自分の景気判断の材料にしていたわけである。

 同じことを堺屋太一大臣もやっておられたようである。街の情勢を体系的に取りまとめたいと思っていると言われる。ところが、それは大変な仕事であり、大臣と言えども簡単には踏み出せないということであった。そこで堺屋大臣との話し合いに基づいて小生の所で作成を始めることになった。

 東海銀行の関係会社である東海総合研究所の社長であった小生は「景気ウオッチャー調査」に打ち込むことになった。

まず名古屋地区だけで始めた。しばらく続けた後、全国へ調査網を広げ、全体を取りまとめていった。

 調査には膨大な手数が掛かる。それを北海道から沖縄まで各地の経済団体などが担っていただいている。それを全国で総取りまとめをしている機関が三菱UFJリサーチ&コンサルティングになっているのは、そのような経緯であろう。(東海総合研究所は現在、三菱UFJリサーチ&コンサルティングになっている。)

 経済の第一線で活躍する人々の景気実感を継続的に示すことは簡単ではない。多くの忙しい人々の協力を得なければならない。多様な人々の感覚を生かしながらまとめる必要がある。年に何回も、しかも長年にわたり調査を続けることが求められる。それができるような仕組みが重要である。

そのような難しさを十分に理解しながらも、街の実情把握が極めて重要であることの考えがなければ、作成に踏み出せないはずである。

それだけの認識と情熱が堺屋太一大臣にはあったのである。

 「堺屋指数」と名付けようと小生は何度も堺屋大臣に提案した。しかしその案は丁寧に断わられた。社会の公器として末永く多くの人々に利用していただくことを考えられたのであろう。

 街角景気を敏感に反映する「景気ウォッチャー調査」を小生が多用してきたのは当然であるが、この調査結果や指数の推移が多方面で重用されているのを堺屋太一氏も心から喜んでおられた。

 

---経友(経済企画庁OB会の会報)69号令和元年5P5への寄稿(2019.5.)から---

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