2018.8.1  

問題を先送りする罪

    ―――目先の落ち込みを恐れずに―――

名古屋大学  客員教授   経済学博士  

 最初は小さな出来事であっても、時がたつにつれて肥大化し、大問題になることがある。

 日常、目先の課題をまず処理しなければならない。たとえ、そのためには将来に問題が残ろうとも、それを考えている余裕がない。

 本来なら一段落したところで残った問題に取り掛からなければならない。分かっていても、次の課題が起きて来る。その連続として問題が先送りされる。その結果、持ち越された問題が大きくなる。

巨大化した問題は、いずれ表面化する。その結末は家庭の崩壊であり、企業の倒産であり、国家財政の破綻である。

 将来は深刻な事態となり、その結末を自分が背負うことが分かっている個人の場合は、比較的早い段階で無理してでも問題の解決に当たろうとするであろう。

 企業の場合、特に大企業の場合は社長の任期が短い。それは経営陣全体も同様である。管理職も移動する。前任者から引き継いだ難しい問題は自分の任期中には表面化させず、次の人に渡したくなる。

正義感に駆られて、問題の解決を図れば、長年にわたり問題を放置してきた諸先輩を陥れることになりかねない。慣例に従って先送りするのが大きな組織における世渡りの知恵である。

 国家の場合はさらに難しい。大きくなった問題を解決するためには多くの国民に深刻な影響が及ぶからである。断固として決断することができるのは大政治家である。しかし、自分だけでなく多くの同僚の政治生命が絶たれる恐れがある。

 大きな組織になるほど経済力が大きく耐え忍ぶことができるだけに、問題の先送りがしやすい。それだけに致命的な段階まで放置されがちである。

しかし、どのような試練が待っていようとも、問題の根本的な解決のために挑戦する必要がある。

 我々には73年前、どん底へ落ち込んだ後でも世界一を目指した実績がある。我々に必要なのは積年の困難な問題を根本から解決しようとする強い意志である。


---ISIDフェアネス・パーフェクトWebへの寄稿(2018.8.1)から---

 

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