目先は安泰な日本経済

―――波乱含みの世界の中で―――

2018.1.1

名古屋大学  客員教授

 経済学博士 

1 世界は転換期

 穏やかな新年を寿ぎたい。                                

 ただし世界の状況は楽観できるような情勢ではない。宗教観の対立や民族問題が収まる気配がない。それが我が国の経済にも影響を及ぼすであろう。

 基本にあるのは自己優先主義である。それは生きていくためには極めて自然な考えである。しかし、それを表面に出せば社会は摩擦が大きくなり、互いの利害が衝突する。その結果として紛争が起きる。

それを回避しようとする人間の知恵が、互いの譲歩を引き出して社会の安定性をもたらす。それは最小の社会である家庭でも最大の社会である国家、あるいは全世界でも同様である。

分かっているだけに、誰もがある程度の犠牲を払って社会のために協力している。それには体力や資力が必要である。それが続く限りは問題がない。ところがその余裕がなくなると綺麗ごとでは済まなくなる。

ひ弱く貧困な場合には限界が低い。逆に強大で蓄積が巨大であれば、大きな犠牲を長期間にわたって払い続けることができる。その恩恵を社会全体が長い間にわたって受け取ることができる。家庭であれば家族全員が、企業であれば関係者全員が、国であれば全国民が、世界であれば世界中の国々が幸せになる。

長年にわたり豊かな先進国が発展途上国を支援してきた。それは自らの権益の確保が主眼であったとしても結果として寄与するところがあったと考えられる。しかし途上国内で自主独立の動きが強まり体制が変わっていった。

ところが国内が旨くまとまり安定していった地域ばかりではない。統制が取れず国内で民族問題や宗教問題が起きて収拾がつかないところが出てきた。

強大を誇った先進国にそれを押さえる意志も力もなくなっている。新興国の国内の混乱が難民を生み、難民が大挙して移住すると、深刻な問題を引き起こす。

当初は人道的な見地から難民を受け入れていた先進国にも限界があり、社会全体に影響が広がると無視できなくなる。国内政治の大きな課題となって国論を揺るがす状況になってしまった。ヨーロッパを中心とした各国の深刻な問題は解決が難しく、経済問題を超える事態が続くであろう。

世界最大の強国アメリカの力は偉大である。長年にわたり蓄積した力を発揮して世界に君臨してきた。しかし、その結果、莫大な富を使い尽くし、大借金国へ転落している。しかも借金の増加は収まることなく続いているのである。

そのような急速な悪化をいつまでも続けることができないことは明らかである。限界をはるかに超えた段階でトランプ大統領がアメリカ第一主義を唱えたと考えられる。もはや綺麗ごとでは済まなくなったためである。

いまだに実行が遅れているため効果は表面化していない。しかし今後、長期にわたる大きな方向転換が全世界へ影響を及ぼすと思われる。それへの厳しい対応が各国に求められるであろう。その影響がすべての企業や個人に及ぶことは明らかである。

 

2 緩やかな回復基調の日本の景気

 半年以上にわたり政府は「緩やかな回復基調が続いている」と述べている。しかもなお「景気は回復の途上にある」と言う。すなわち、政府はこれからもゆっくりではあるが日本経済は拡大を続けると見ている。

 経済の先行きを示すと言われる株価が水準を切り上げてきた。企業の業績も予想を上回るところが増えている。設備投資を増やす企業が出てきている

政府主導の賃金引き上げに経済界も応えようとしている。人手不足を背景として賃金が上がれば、消費も増えるであろう。企業の売り上げに結び付けば景気に弾みがつく。先を見ても明るい話題がつながっている。

 天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位が決まり、来年の春から初夏に向かっての準備が進められる。その先には東京オリンピックがある。それらの波に乗って上昇機運を高めたいと誰もが考える。

 安倍政権は圧倒的な政治基盤を背景として、いよいよ憲法改正に取り掛かると思われる。憲法改正には多くの関門があって簡単ではない。最終的には国民投票で賛同を得ることが必要である。

いつの場合でも国民が政府に対し、もっとも期待するのは景気の引き上げである。政府は国民の要望に沿わなければならない。安倍政権は総力を挙げて景気の維持・向上を図るであろう。

最大の施策が金融政策と財政政策である。ところが金融政策は頼りにならない。極端な金余りのために金融の力がなくなっているためである。それに比べて財政政策は強力である。

政府が増税を取り止めれば、その分だけ民間は潤い、支出に回すであろう。需要が増えて景気が良くなる。公共投資など政府が支出を増やせば、それが直接需要を増やす。それとともに、それを受け取った企業や人々が支出を増やすため、何倍もの需要が生まれることが考えられる。

安倍内閣としては財政政策を大いに利用したいと考えるであろう。大量に資金を投入すれば経済成長率を引き上げることが出来るからである。そうすれば、企業は売り上げが増える。設備投資も活発になって景気に弾みがつく。賃金も上がり人々の消費も盛り上がって良い循環が生じる。結果として政府は税収が増え、財政再建に役立つことが考えられる。

しかし現実には、そこまでの措置は難しい。すでに長年にわたり大きな財政赤字を出し続けてきたためである。

膨大な財政赤字によって毎年大幅に経済水準が押し上げられている。その結果が今日の豊かな現実になっているのである。その反面、毎年の赤字分だけ国の借金が累積し、国債残高が巨額になっている。

毎年発行される膨大な国債をさらに上乗せすることになるのが財政赤字の増額である。そのような財政政策の活用が許される状況ではなくなっている。

 

3 将来への備えを

本来なら政府は万難を排して本格的に財政再建に取り掛かるべきである。その場合には景気を大きく悪化させる。それを避けるために政府は財政再建に目を瞑り、先送りを続けるであろう。

それだからこそ我々は当分の間、穏やかな経済情勢を謳歌できると思われる。

経済が成長しなくても大きくは落ち込まない事態が続いている。それに慣れて、大きな望みを抱くことなく、目先の小さな幸せを楽しんでいるのが我々である。いつの間にか現状に満足して活力を無くしてしまったのではなかろうか。これでは経済を押し上げる活力が出てこない。経済成長を期待することは難しい。

現状に満足していると、異常な押し上げ要因によって現在の安穏な状況が長期間にわたってもたらされていることを忘れがちになる。それだけに正常な状態になった場合の水準がどの程度低下するかを知ろうとはしない。

世界が正常化すれば、その影響は相当なものとなるはずである。それに対応する力が我が国にも必要である。それまでに国力を培っておかなければならない。ところが現実には我が国の政府には対応する力はない。大借金を抱えているためである。

この現実を考えれば、現状に甘んじているわけにはいかない。将来のために大改革が必要である。大改革に伴う大きく長い落ち込みを想像するだけで恐ろしい。それだけに、大問題を避けて通ろうとする気持ちになりがちである。その結果は将来の我々の子孫に降りかかる。

それで良いのであろうか。将来の国民のことを考え、必要な大改革の覚悟と準備に取り掛かる年にしたいものである。---名古屋大学経済学部望洋会への寄稿(2018.1.1)から---

 

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