名古屋大学
客員教授
経済学博士 水 谷 研 治
2017.6.1
安全の確保に必要な犠牲
―――経済水準が下落する恐れ―――
安全が確保されたうえでの豊かさの追求であることは当然である。個人の生活においても、企業でも、国家でも同じである。
慣れは恐ろしい。長年にわたり安全が保たれていると、それを前提として目先の豊かさの追求が最優先にされる可能性がある。その結果として、安全性への配慮と注力が疎かになる恐れがある。
危機は突然起きる。しかし、あらかじめ予想することができないわけではない。それに備えているはずである。
予想外の事態を想定して準備をすることも必要である。そのためには経済力を現在のためだけに使い尽くすことはできない。将来の事態に備えるためには、目先の豊かさをある程度は犠牲にしなければならない。
このことは個人生活において誰もが知っている常識である。企業も将来の危機を想定して用心深く行動している。その結果、ある程度の準備ができていると思われる。
ところが国家としては心細い限りである。
戦後70年以上にわたり、我が国は恵まれた国際関係にあったため、独立を維持することがいかに難しいかを痛感することがなかった。しかし今後は諸外国と同様に、そのような甘えが許されなくなると考えられる。
本来、安全を確保のためには相当な人力と経済力を投入しなければならない。
国全体として、そのような準備をするとすれば、経済のあらゆる部門へ深刻な影響を及ぼす。
これまで経済活動をしていた人を安全のために割かなければならない。国全体としての経済力が低下する。
そのうえ税負担が増大する。増税の分だけではなく、その何倍もの国民総生産の減少となる。景気が下降し、経済水準が大きく下落する。
普通の国と同じになるだけである。しかし、長年にわたり現実離れに慣れてきた我々だけに、準備には相当な覚悟が必要である。
---ISIDフェアネス-パーフェクトWebへの寄稿(2017.6.1)から---