絶望の淵から経済発展の奇跡

                     名古屋大学  客員教授

    経済学博士  

日本全国が廃墟となった71年前 敗戦は悲惨である。過酷な戦争のためにすべてを使い尽くしていた。鉄もアルミも繊維も食料も残っていなかった。アメリカの空襲によって壊滅したのは東京や広島、長崎だけではない。京都、奈良、金沢を除き大部分の大中小都市が焼失した。ほとんどの工場は爆撃で壊滅し、僅かに残った機械も海外へ持っていかれた。そこへ海外から過酷な運命を乗り越え生き残った同胞が戻ってきた。多くの家が空襲で焼かれ、着る服はなく、食べる物もなかった。人々は生き延びるのに必死であった。原料も機械も道具もないと、何も作り出すことはできない。この状況が永遠に続くと考えられた。全国民が絶望のどん底へ突き落されたのである。

 

一人当たり国内総生産が米国を抜き世界一を窺う 肩を寄せ合って生き延びた国民がどうにか食べられるようになるのに45年はかかった。国は耐乏生活に慣れた人々に犠牲を強いたまま、産業の基礎作りにまい進した。おかげで我が国の産業は急速に復興を続け、戦後10年で戦前の水準に戻ることができた。奇跡の経済復興であった。ところが経済の拡大はその時点で止まることはなかった。たびたびの紆余曲折はあったものの、その後も高い経済成長を続けた。その結果、我が国の国内総生産はヨーロッパ主要国の国民総生産を次々と追い越していった。一人当たりの国内総生産はアメリカをはるかに追い抜き、世界最高である北欧の国に迫る勢いとなった。

 

勤勉な国民の向上心 奇跡の経済発展が実現した要因として、戦後の東西対立が激化し、我が国がアメリカの側についていたことがあげられる。そのような外交上の幸運がなければ、到底かなえられなかったであろう。しかし、どのような情勢であろうとも国民に強い意志がないと実現は難しい。勤勉な国民性が基本である。国民が自らを犠牲にして将来の発展を目指さなければ、社会の発展はない。国民が現状に満足してしまえば、成長を望むことはできない。その場合には現状が維持すらできず、水準の低下が避けられない。それが現在の状況ではなかろうか。この機会に過去を振り返り、満々たる意欲をたぎらせて向上心を掻き立て、将来の発展のために一人一人が尽力したいものである。     (みずたに けんじ)

---時局コメンタリー第158416.8.9 時局心話会への寄稿から---

 

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