名古屋大学  客員教授

                                   経済学博士 

 敗戦時の絶望から高度経済成長へ

―――社会のための犠牲的な精神が根底に―――201681

 敗戦は僅か71年前のことであった。71年も前のことと思われる人々が増えている。暑い8月には日本の敗戦当時とその後の復旧、復興から高度経済成長を振り返りたい。

 敗戦前後の我が国の悲惨な状況は想像が難しい。それぞれが置かれた状況によって極端に程度が違っていた。生き延びた人々は、生きているだけで後ろめたい気持ちを持ち、悲惨な真実を語ることが少なかった。それだけに事実を知ることが難しい面がある。

 71年前には物がなかった。戦争のために資源を使い尽くしていた。アメリカ空軍による爆撃によって、住宅は焼かれ工場は破壊され、多くの人々が死に、機械も道具も残っていなかった。

物がないことは悲しい。無からは何も生み出すことができない。食べる物がなくて、人々は飢えていた。着る物もなかった。中小都市に至るまで空襲で家を焼かれてしまった。働く場所もなかった。

粗末な道具で細々と必要な最低限の物を作り始めた。生き延びるために人々は必死であった。

 戦前の状況にまで復旧することは永遠に不可能と思われた。現実には僅か10年余でそれを達成した。零からの奇跡の復旧であった。

それに満足していなかった。所得倍増計画を立てて実現し、高度経済成長を続けた。一人当たりの国内総生産でヨーロッパの主要国を上回り、アメリカを追い抜き、世界最高を目指した。

そのような奇跡の大発展が実現した背景には、アメリカとソビエト連邦の冷戦があったことなど、国際関係が極めて有利に展開したことが大きかった。

 しかし国民にそれだけの意欲がなければ、到底達成できることではない。それが個人的な利益の追求だけでできることとは思われない。満々たる意欲は自分自身のためではなく、周りのために社会のためにとの考えが根底になければ、持続することは難しい。

 社会のために、より高い目標を目指して一人一人が犠牲を厭わず努力を続けなければ、社会が発展することは難しいからである。その社会は国でも会社でも家庭でも同じである。

---セイコーエプソンWeb 税務会計情報ネットTabisLandへの寄稿(2016.8.1)から---

 

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