2016.8.1            名古屋大学  客員教授

                            経済学博士  

    高度経済成長をもたらした国民の考え方

      ―――社会のために尽力する重要性―――

暑い8月には敗戦前後の悲劇的な状況を振り返る必要がある。

現在でも世界の中では悲惨な状況の下にある国がある。大国といえども自分たちの権益を守り拡充するために熾烈な鍔迫り合いを続けている。

 我が国も例外ではない。それにもかかわらず一般には真剣に外交を心配する声が少ない。確かに外交に一人一人の国民が関与することは難しい。国家に任せざるを得ない。

しかし外交は国の将来を左右する決定的な要因である。それだけに国民の一人一人が関心を持つ必要があるのは当然であり、それととともに各人に協力を求められる。

それは目先の個人的な要望よりも国家全体の必要性を優先して考えることである。それは世界的な常識であり、我々も世界を相手に苦しい戦いを続けた後、悲惨な敗戦を体験した71年前には一人一人の身に沁み込んでいたはずである。

そのことが反対の教訓とされているように思われる。すなわち国家のためではなく、個々の人が自分の利益を最優先するべきであるとの考え方である。

しかし戦前の生活水準に戻り、国民の多くがそれで満足し安住していたとすれば、その後の経済発展はなかったであろう。高度経済成長を続け、世界の最高を目指して奮闘した当時の日本国民には単に目先の個人の利益追求だけではなかったのではなかろうか。

自分のためではなく周りのために尽力するとすれば、無限の可能性が湧いてくる。

個人を犠牲にしても社会のためにお役に立つことが社会にとっていかに重要であるかは言うまでもない。その社会は家庭でも会社でも国家でも変わらない。

国民にこの考え方が衰えると現状に甘んじることになり、進歩から取り残される。成長も発展も得られない。社会の発展性がなくなり、経済成長力が落ちていく。それが現実になっているのではなかろうか。

---ISIDフェアネス・パーフェクトWebへの寄稿(2016.8.1)から---

 

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