名古屋大学 客員教授
経済学博士 水 谷 研 治
2015.8.1
廃墟からの復活
―――奇跡の復興を実現した日本国民―――
70年前、敗戦は悲惨であった。
戦地で戦災で多くの人々が亡くなった。戦後も内地へ帰国することができず、過酷な運命に翻弄された多くの人々がいた。
壮絶な戦争を遂行するために、すべてを犠牲にした。石油も鉄鋼も全ての原材料を使い尽くしていた。道具も機械も残っていなかった。毎日の食糧さえも手に入れることが困難であった。
無いところからは何も生み出すことができない。目先の必要性を満たすだけでは、永遠に同じことの繰り返しである
将来のために土を耕し、種を蒔く必要がある。そのためには休んでいるわけにはいかない。満足に食べられず、やせ細っていても、未来のために働かなければならない。今、食べてしまいたい米を蒔いて稲を育て、将来の食糧を増やさなければならない。
目先の必要性を犠牲にし、より豊かな将来のために投資をし続けたのである。
70年前からの奇跡的な復活が実現したのは、我が国を取り巻く世界の情勢が極めて大きな役割を果たしたことは間違いない。東西冷戦が激化する中で我が国がアメリカの側についていたことが最大の要因であった。
復興の途は平坦ではなかった。国内でも意見がいつも一致していたわけではない。それでも多くの人々には、より良い未来を目指そうとする考え方があったように思える。
国民は過酷な状況を耐え忍んだ。目先、深刻な事態にありながら、その解決だけに没頭することなく、将来を考えて力を注いだ。
その結果として、少しずつ事態を改善することができた。それが、あらゆる段階で実現していった。その積み重ねとして国全体が着実に良くなっていったと考えられる。奇跡の復興である。
人々にこの強い意志がある限り、どのように悲惨な事態に陥ろうとも、再生が可能であると考えられる。逆に、そのような人々の考え方がなくなれば、どのように豊かであっても、将来性に期待することができない。国も企業も変わることはない。
---ISIDフェアネス-パーフェクトWebへの寄稿(2015.8.1)から---