名古屋大学  客員教授

                            経済学博士  

  2015.7.1

    教育の結果が将来を決める

    ―――人手不足が教育を困難にするが―――

 社会は人がすべてである。人に始まり人に終わる。それは最小の単位である家庭でも企業でも最終的には国家に至るまで同じである。

 人間の能力や意欲には大きな差がある。それらを高めることが教育の役割である。

 教育の成果を上げるためには、本人とともに周囲が努力を続ける必要がある。

ところが現実には教育が難しくなってきた。

豊かな社会で育った人々が多くなってきている。「お天道様と米の飯はついて回る」と考えるのは無理もない。あくせくしなくても飢えて死ぬことない。健康で文化的な生活は憲法で謳われている。いざとなれば国家が保障してくれることになっていると思われているかもしれない。

意欲的とは言えない人々が増えてきた。自分の好きなことはやるものの、嫌いなことを無理してやることはないと考える。

 たとえ嫌なことでも将来のためには身に付けなければならないことがあり、それが必要であることを力説しても受け容れられるとは限らない。それでは教育ができない。

 教育を施す方にも余裕がなくなってきた。長期的な観点で地道に指導することが難しくなりつつある。

 しかも人手不足が問題をさらに難しくする。本気になって教育しようとしても、逃げられてしまう。

基本は家庭教育であるが、甘やかされて育った人が親となり、少ない子供をさらに甘やかせて育てることが考えられる。甘やかされた子供には学校でも手を焼いている。社会人となって急に変わることは難しい。

 しかし諦めるわけにはいかない。将来はすべて「人」が背負わざるを得ない。より少ない人によって企業も社会も支えられていくのであるから、一人一人の能力と意欲を高める以外にない。

分かっているだけに、困難を承知のうえで、それぞれの立場で将来を考えて真剣に対応する必要がある。

---ISIDフェアネス-パーフェクトWebへの寄稿(2015.7.1)から---

 

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