日本国債の格付はA

2015.5.22       (名古屋大学  客員教授  経済学博士)

格付けAの意味  

 「日本の国債の格付けがAになった」と報じられた時、どのように受け止められたであろうか。

 「それほど悪い評価になってしまったのか」との見方はなかったのではないか。逆に「日本経済がまともに高く評価された」との思いが一般的であるように考えられる。

 評価の方法にはいろいろあり、10点満点、5段階評価、ABC評価などが普通に用いられる。ABC評価では最高がAであり最低がCまたはDと考えられている。そこでAになると、最高の評価を得たと考えるのが通常であろう。

 ところが国債の評価を行っている世界の3大機関の一つフィッチはAを上から6番目としている。その他の機関も似たり寄ったりとなっている。最高がAAAであり、日本の国債はこのたび、さらに落ちてAになったのである。

 参考まで世界各国の国債の格付けを3大機関で見ると次のようになっている。

 最高の1位はドイツ北欧等の9か国である。アメリカが2位であり、イギリスが4位、フランスが6位となっている。参考までに韓国が9位、中国が10位になる。我が日本は12位である。国の数でいえば、日本の上に23か国があり、日本は世界中で24番目である。

 これほど酷い格付けに対する反論がある。日本の実力を的確に反映していないとするのが、その代表である。

 

甘い格付けは自信の無さ

 そもそも格付け機関が信用できない。その表れが格付けの表示方法である。

自信があれば、良いところをAとし、それに次ぐところをBに、次いでCにすればよいはずである。実際にはAの上にAAを作り、さらにAAAを設置している。それは格付けに対する自信のなさを表している。

その結果として、格付けが分かり辛くなってしまった。そこに端的に示されているように、的確に格付けが行われているとは言い難い。したがって、そのような格付けを信用することはできないし、勝手な格付けは無視すれば良いとの意見につながる。

多くの日本人はそのように考えているのではなかろうか。世界で24番目の国であるとは到底承知できないところであろう。

 

参考 フィッチが使っている格付けは次の通りでAは上から6番目である。

 AAA  AA+  AA  AA-  A+  A   A-  BBB+  BBB

 BBB-  BB+  BB  B+  B   B-  CCC+  CCC  RD

 

国家財政の実情

 現実に我が国の国債がどのように評価されるべきかを考えてみよう。

国債の金利が支払えるか、国債の期限が来た場合に償還できるかが基本になる。その基になるのは国の財政である。

 国債の金利支払いと償還のための原資は国の収入であり、大部分は税収である。それが十分であるか否かが最重要である。

国債の金利支払いと償還は国債の残高によって決まってくる。その将来残高は財政の赤字分だけ毎年増大していく。したがって現在の国債残高とともに毎年の財政赤字によって将来の必要資金は予想ができる。

一方、支払いの原資は財政収入の将来見通しである。それは経済動向によって大きく左右される。経済が成長すれば、税収が大きく伸びる。逆に経済が縮小すれば税収は減少する。

現実の計数を当てはめてみると、我が国の財政が極端な危機状態にあることは一目瞭然である。

基本的な国債である建設国債と赤字国債だけで800兆円を超す。しかも毎年の財政赤字が30兆円を上回り、それだけ毎年、国債が増えていく。

財政収入は税外収入も併せて60兆円近くあるものの、地方へ渡すために国として使えない分が10兆円以上あり、実際に国家として使える年収は49兆円に満たない。支出は金利の10兆円をはじめ83兆円となっている。

可処分年収の16倍の借金はもはや再起不能である。金利の支払いが借金の増大につながり、それが金利をさらに増加させて、悪循環を引き起こすためである。それを世間では借金地獄と言う。

 

表面化しない破綻

 ところが現実には、我が国は借金地獄になっていない。すなわち破綻が表面化していない。そのために危機意識がない。

 理由は簡単である。金利が極端に低いからである。長期国債の金利が0.4パーセント程度では、重い負担にならない。国債が売れていく。国は資金繰りに困ることはない。

 その基本は国内における資金過剰である。

 現在の資金過剰は常軌を逸している。その基になっているのは、もの余りである。これほど酷い供給過剰では新たに投資をしても採算が合わないため、企業は投資をしない。投資資金は企業の内部資金で十分に間に合うため、外部へ資金需要として現れない。全体として資金需要は極端に小さくなっている。

 ところが膨大な資金が供給されてきた。輸出により莫大な代金が海外から流入してきた。輸入が少ないために海外への支払いは少なくて済む。国際収支(経常収支)の黒字分だけ国内へ資金が流入し続けた。

 国は原則として、民間から税金で徴収した分を財政支出として支払うことになっている。ところが我が国政府は長年にわたり、民間から徴収した分よりもはるかに多い支出を続けてきた。すなわち財政赤字が膨大であった。その分だけ余分に民間へ大量に支払い続けてきたのである。

 そのうえ日銀が資金を投入してきている。

 長年にわたり我が国は大量の資金余剰を続けてきた。その結果が金利の著しい低下となっている。

 この状況は、まだ当分の間、変わることなく続くであろう。

 したがって事態は変わることなく平穏に推移するものと筆者は考えている。

 だから心配がないのではない。それだからこそ困るのである。

 

借金地獄への転落

 事態は日本経済の転換によって起きる。

 供給過剰経済の終焉である。通常の国と同様に、供給力不足経済になると一変し、もの不足からインフレ経済になるためである。

 物価の上昇が需要を呼び起こし、それがもの不足を加速させる。値上がりを見越して人も企業も早目の買い込みを図り、資金需要が盛り上がる。これに対し、政策当局はインフレーションを抑制するために資金の供給を抑え金利を引き上げる。

 資金が急に不足するようになる。金利が正常な水準に戻るだけに止まらず、さらに上昇する。国債の金利も現在の10倍以上になるであろう。

 資金不足から国債が売れなくなる。高い金利を付けなければならない。それでも国が資金を調達できなくなる。

 借金地獄が待っている。

 そのような事態になるのは、まだ何年も先であると筆者は考えている。それまでの間に巨額の財政赤字が続き、その分だけ国債残高が増え続ける。それだけに、その時点では対処の方法がなく再起不能になる。

 

改革の志   

 それまでに財政を正常化しなければならない。それが財政改革である。目標は過大になった国債の残高を正常な範囲にまで縮小することである。年間収入の範囲程度に削減しなければならない。

 まず目標を固めなければならない。そして直ちに実行する必要がある。遅れれば遅れるほど必要な改革幅が大きくなり、改革の痛みが酷くなるためである。

 財政改革は多難である。それは大増税と徹底した支出の削減以外にないからである。それは国民一人一人に直接大きな負担を強いる。しかも改革には景気の急落が避けられない。大不況が到来する。

 誰も歓迎しない。それでも、それを実行する以外に破綻を逃れる道はない。誤魔化しは利かない。

 分かっているだけに、我々は財政改革を実行してこなかった。それを曲がりなりにも実行したのがドイツである。その成果がようやく表れてきた。

 アメリカは手ぬるい。それでも、財政赤字対策に強硬策を講じたりしている。少なくとも、アメリカ国内に財政再建論者が居て強い主張を繰り返している。

 これに対して、我が国では改革の主張が一部の例外にとどまっている。これでは奈落の底へ転落するのを防ぐことはできない。

 

手本はギリシャと夕張市

 破綻が起きる前に、どのような事態であったかは明らかである。借金が急増を続け、その額が年間収入の5倍にも6倍にもなっている。そして何かのきっかけでそれが表面化すると、とたんに資金が調達できなくなり、金利が上昇する。支払金利が増加して支払い不能となり、一挙に破綻に陥る。

 その典型がギリシャである。国内では夕張市が有名である。

 それらが現在、どのような状況に陥っているかをよく見る必要がある。それが我々の将来の姿である。

 5年前、10年前に改革を断行しておればと悔やまれるはずである。それが将来における我が国国民の考えになるであろう。

 

個人や企業の対応

 我が国の実情を考えると、もはや手遅れと言わざるを得ない。

 危機意識が出るまでに、まだまだ何年もかかると考えられるためである。それまで破綻が表面化しないことは、今の我々にとっては幸せなことかもしれない。しかし、このままで推移できるだけに、本格的な改革を実行することなく、着実に破綻への途を歩むことになるであろう。

 その間を個人も企業も無為に過ごすことがあってはならない。将来の危機に備える必要がある。来るべき危機がどのようなものであるかはギリシャや夕張市からいくらでも学ぶことができる。

 当然ながら対処の方法もある。それを今から直ちに実行するべきである。

 

---名古屋大学 望洋会への寄稿(2015.5.22)から---

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