国債で幸せな我々と悲惨な子孫

    名古屋大学  客員教授   経済学博士  

まだまだ可能な国債の増発

 借金をすれば資金が手に入る。それを使えば幸せを手にすることができる。分かっていても、個人では借金の限界がある。そのために何時までも借金生活を続けることはできない。

 国の場合は、その限界がなかなか現れない。その間は借金を続けて国民全体が幸せな生活を謳歌することができる。借金の額が大きいほど幸せも大きくなる。

 景気の低迷が続いている。ものが余り、売れなくて困っている。多く売れれば、より多く作ることができて経済の規模も拡大する。

需要を増加させ、より多く売れるのに役立つのが国債の発行である。

 国債の発行ができなくなると心配する向きがある。しかし懸念には及ばない。膨大な余剰資金があり、その資金運用のために国債が買われるからである。

 異常なまでの資金過剰の根本原因はデフレの元凶となっている膨大な供給余力である。投資の成果が期待できないために投資意欲が殺がれて資金需要が出てこない。

 一方では膨大な資金の供給がある。国内での物余りが輸出を伸ばし、輸入を抑えるために、国際収支が黒字になり、資金が海外から流入する。

景気振興のために政府が減税をして民間から資金を吸い上げないようにする一方で、公共投資などの支出を増やすため、政府部門から民間部門へと膨大な資金が流入する。

中央銀行も景気に配慮して大量の資金を供給する。

 民間では膨大な資金が余り、運用のために国債を買わざるを得ない。 この状況はデフレが続く限り続いていくと考えられる。当分の間、国債の発行ができなくなる心配はない。

 ところが我が国の経済に大きな変化が起きつつある。

 あれほど大きかった貿易収支の黒字が赤字へと変わり、赤字幅が拡大している。重要な経常収支は未だ心配ないとは言え、傾向としては赤字になり、赤字が増大すると考えられる。

 それは我が国の供給余力が減退していることを示している。この傾向は続くであろう。加速する可能性が大きい。デフレ経済からインフレ経済への転換が予想される。

 

供給力の低下で限界が表面化する時の借金地獄

 それでも当分の間は問題にならない。過去に蓄積した膨大な世界一の対外純資産があるためである。それを使えば、まだ何年もの間、我々は左団扇で豊かさを満喫することができる。

 その後インフレが現れる。そこで大転換が起きる。もの不足が需要を掻き立てる。購買意欲が高まり、資金需要が膨れ上がる。

 一方、資金の供給は縮小する。輸出余力がなくなり、輸入が増大する。国際収支の赤字分だけ資金が海外へと流出する。

インフレ対策のために景気の抑制が必要になる。政府は緊縮策を採るであろう。財政からの資金放出が減少する。中央銀行も資金を引き上げる。

金利が上昇する。

 膨大になっている国債の支払金利が急増する。千兆円を超える国債の支払金利は1パーセント上昇するごとに10兆円ずつ増加する。インフレによって税収が増加しても、はるかに及ばない。たちまち借金地獄へと転落する。

 地獄からは逃げ出せない。国民の生活水準は大きく下げ続けるであろう。悲惨な状況になる。

 それを回避するためには、膨大になった国債残高を大至急で削減する以外にない。それを実行することが財政改革である。

 それは容易なことではない。財政の黒字分だけしか国債残高を減らすことができないからである。膨大な財政赤字をなくすだけではなく、大きな黒字するのであるから、それによって猛烈な景気の悪化が起きる。

 それが分かっているだけに、財政改革は極めて難しい。改革ができなければ将来の国民である我々の子孫は悲惨な事態を迎える。彼らには選択の余地がない。

我々は自分たちだけの幸せを追求し、膨大な国債という借金を積み上げてしまった。これまで繁栄を謳歌してきた我々がその借金を返していくことは当然であり、それを将来に残したままで良いわけがない。

 今や大改革が必要なのであり、もはや国民一人一人の大きな犠牲が避けられなくなっている。          (みずたにけんじ)

---時局コメンタリー第149014.9.16 時局心話会への寄稿から---

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