東京福祉大学 大学院教授

                                                      経済学博士 

借金の限界

     ―――借金の魅力には勝てない―――2013111

  借金すれば、手元に資金ができて使うことができるために便利である。

ただし借金すれば、後日、返済しなければならない。その時点では、せっかく稼いでも自分で使うことができなくなる。それを考えれば、むやみに借金することはできない。

借金の返済を長期で行うことになれば、返済の負担が小さくなり、借金による苦痛が減る。借金の金利負担は僅かなものである。特に金利水準が低い場合には、大きな問題にならない。

それでも個人の場合や企業においては、将来、自分で借金を処理しなければならない。したがって、自分で責任がとれる範囲にとどめようとする。

これに対して、国家の場合には誰が責任を取るのであろうか。借金の返済期間が長いことが一つの問題である。当分の間は借金の問題が表面化しない可能性が大きい。したがって借金が今の国民に影響を及ぼすとは限らない。

影響を受けるのは将来の国民である。彼らは自分たちの子孫であるにもかかわらず、彼らの負担を考えることなく、現在の自分たちのために借金を重ねて資金を使い続けている。しかも多くの国民には、それに対する罪悪感がない。

それを助長するのが選挙民に迎合する政治家の言動である。長年にわたる財政赤字の結果として、膨大な国債残高が積み上がっている。それが異常であることは誰もが分かっているはずである。それにもかかわらず、さらに借金を積み増して資金を作り出さないと、今の国民を満足させることができない。

借金の限界が見えない。文字通り壁にぶち当たるまで、これから何年も借金が増えていく可能性がある。

その間は皆が幸せである。景気が大きく落ち込むことがないと思われるからである。景気に不安があれば、国家が大量の国債を発行して下支えをしてくれるからである。

それができなくなった後は悲惨である。そのような先々のことを考え、長期的な対応を考える必要がある。長期にわたり10%程度の消費税に止めることは不可能であり、将来の経済情勢は大きく悪化すると思わざるを得ない。

―――セイコーエプソンWeb 税務会計情報ネットTabisLand  への寄稿(2013.11.1)からーーー

 

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