自己犠牲の精神

東京福祉大学  大学院教授

 

 

  豊かな社会に生きている我々は幸せである。ところが、そこには大きな問題がある。ものが余っていて、作っても売れない。誰かが買って使ってくれなくては作り続けることができず、せっかくの豊かさを満喫するわけにはいかない。

求められるのは消費である。無駄遣いでもかまわない。浪費が歓迎される。それが景気を上昇させるからである。

大きな資金を動員すれば効果は大きくなる。我々は国家を利用してきた。財政政策を発動し、景気を押し上げ続けてきたのである。

そのために実行したのは、減税と公共投資などによる景気の振興である。財源は国債という国の借金であった。

膨大な国債を国家に発行させ需要を増やしてきた。おかげで経済水準が著しく高まっているのである。

過去半世紀近く、自分達だけの幸せを考えて我々は国家を収奪してきた。そして収奪し尽くしてしまった。

その報いは将来の国民が背負うことになる。将来の国民は莫大な国の借金を返済していかなければならない。

方向の転換が必要である。

我々が作った国の借金は我々が返していくべきである。それには財政の赤字を黒字へ変える必要がある。

そのような財政改革を実行すれば従来とは反対に景気を大きく引き下げる。それを覚悟のうえで我々は耐え忍ぶ以外にない。

今さえよければ、自分だけよければ、といった考え方では社会は成り立たない。一時的には華やかでも長続きするはずがない。

目先よりも将来がより重要であり、自分のためでなく社会のため国家のために国民が犠牲を払うことは当然のことである。

周りのために自分が犠牲になることが社会人として大切であり、尊いことであることが忘れられている。

重要なのは自己犠牲の精神である。

国民の考え方を本来の方向へと大至急で変えなければならない。

―――文芸春秋20114月号P363-364超大型企画 これが私たちの望んだ日本なのか 警世の紙ぶて 日本の叡智125人への寄稿から―――

 

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