「自分だけ、今だけ良ければ」の国民性が哀しい

東京福祉大学  大学院教授

                    経済学博士   

誰でも自分が一番大切である。今がなければ、先々のことを考えても仕方がない。そのために利己的になり、刹那的になりがちである。

それが個人にとって短期的には得になる。しかし長期的には逆になることが多い。その結果がやがては自分に跳ね返ってきて損になってしまう。

このことは昔からいろいろな格言や言い伝えで良く知られているはずである。たとえば、「損して得取れ」「苦労は買ってでもせよ」「遠き慮りなければ近き憂いあり」などなど数知れない。

そもそも自分の利益になることを主張するのは品性に欠ける行為である。それにもかかわらず、品格をかなぐり捨てて、厚かましい要請を続けているのが今の日本国民である。

国家に対し、行きすぎた保護・支援を要請する勝手きわまる国民の態度は目に余る。

それを一人一人が犠牲を払って行うのではなく、自分の負担を棚に上げ、国に借金をさせてやらせているのである。

国家が国民のものであるとの認識が国民にないためであろう。国民が国家を徹底的に食い物にしている。

景気を良くするためには国家財政が赤字になっても構わないと言われる。景気が良くなれば税収が増えて赤字が縮小し、場合によっては黒字になると一部の経済学者が言う。

都合が良いので、その意見が重用される。景気振興のために大幅な減税がいつも要請され、大規模な公共投資が主張される。

きめの細かい政府の施策が要求され、それによってどれほど費用が掛かるかに気を配る様子はない。

その結果として国家財政は膨大な赤字を記録するようになった。それが四〇年以上も続いている。

赤字分だけ資金が不足するために国は借金をしなければならない。国の借金は莫大な金額になってしまった。膨大な借金の金利支払は将来の国民を苦しめるであろう。

そのことに目を瞑り、今の自分の利益を求める国民の姿は浅ましい。いや、それを通り越して「哀しみ」を覚える。

我々の作った借金である。どれほど生活水準を落としても自分達で国の借金を返済するべきである。そのためには大幅な消費税の引き上げもやむをえない。そのような主張が出てこないことが「哀しい」。

―――フォーブス日本版P176-177「喜怒哀楽」「哀しみ」への寄稿(2009.9.1)から―――

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