どん底からでも這い上がれる
―――63年前の絶望的な状況を振り返る―――2008年8月1日--―水谷研治
8月が来るたびに昭和20年(1945年)のことが甦る。
アメリカ空軍による空襲で3月10日の未明に約10万人の東京都民が焼死した。8月には原子爆弾によって廣島と長崎が壊滅し、ソ連が不可侵条約に違反して攻め込んできた。
8月15日の終戦で国民は悲嘆にくれた。将来の目標や希望を失った場合の悲惨さを我々は痛感した。
多くの有能な若者が戦争で亡くなった。全国の各都市は空襲で焼かれ、住むところがなくなっていた。着る物がなかった。食べるものもなかった。国民は飢えていた。
それがどれほど辛く悲惨なことであるか、今では想像ができない。
経済は破綻していた。石油や鉄などあらゆる原材料は戦争で使い尽くしていた。主な工場はアメリカ空軍の爆撃で破壊されていた。機械がなく、道具もなかった。物が作れなかった。
永遠に飢えから逃げられないのではないかと思われた。一人一人が生きていくのに必死であった。戦災孤児が駅の通路で寝ていた。海外から命からがら祖国へたどり着いた引揚者も生きていかなければならなかった。
絶望的などん底の毎日であった。
ほとんど零からの再出発であった。多くの幸運に恵まれたとはいえ、今日のような繁栄がもたらされるとは誰も想像できなかった。
現実には日本経済は世界の歴史に永遠に残る奇跡の大発展を遂げたのであった。
それを実現したのは我々である。我々は自信を持つべきである。我々がその気になって懸命になれば、奇跡を実現することができるのである。
どれほど景気が悪化しても、どれほど経済水準が下落しても、かつてほどのことにはならない。大幅な下落を覚悟し、そこからの再発展を目指せば、それが実現できないはずはない。
現在、我々が置かれた状況は極めて厳しい。目前に迫る財政破綻を解消するためには国民が多大な犠牲を払わざるを得ないからである。その結果として経済水準が大幅に低下することを避けることは不可能である。
それを恐れる余り、課題の解決を先送りし続けてきた。しかし、もはやそれも限界に来ている。我々は意を決して、大改革に取り組まなければならない。
消費税の大増税が必要である。その結果、経済水準は急落するであろう。それを覚悟し、国民の一人一人がそれを乗り越えるために英知を傾け、改革のための情熱を燃やさなければならない。そして再発展を目指す必要がある。
―――セイコーエプソンWeb 税務会計情報ネットTabisLandへの寄稿(2008.8.1)から―――