「清貧の思想」こそ必要

中京大学  大学院教授

   経済学博士  水谷研治

「清貧の思想」は時代にそぐわないと思われるかもしれない。

もしも国民が節約に努めて買わなくなれば、ものが売れなくなるからである。その結果として不況になり、それが国民の生活に跳ね返る。国民の生活はますます苦しくなってしまう。

  これほど、ものが余っている社会では、ものが買われなければ作り続けることができない。すなわち経済活動が成り立たない。

  景気を良くするために無駄遣いが奨励された。ところが人々がどれほど身銭を切って無駄遣いをしても、その分がまた作り出される。そのために相変わらず景気が良くならない。

景気をより良くしようとすれば、もっと大量に使わなくてはならない。それを長年にわたり政府の犠牲で実行してきた。

そのために利用してきたのが赤字財政である。その内容としては、公共投資などの支出の増額と大幅な減税である。

その結果、大きな財政赤字が続き、国の借金が膨大な金額になってしまった。国家の財政状況は夕張市の事態よりもはるかに悪くなっている。

国家財政の改革は避けられない。従来とは反対に財政支出の大幅な削減と大増税が必要である。

その結果として景気は大きく落ち込むであろう。その準備が国民になければ、本格的な財政再建が実行できない。そうなれば国民は膨大な国の借金を抱え、莫大な金利の支払いを続けなければならず、借金地獄の苦しみから永遠に逃げ出すことができなくなる。

将来の日本、将来の国民のことを考え、財政を根本から建て直し、国の借金を削減することが必要である。

そのためには自分の生活は自分で守らなければならない。それには我々が生活水準を大きく落とす以外にない。かりそめにも国家の救済に依存しようとしてはならない。

従来どおりではやっていけない。我々は考え方や生き方を根本から変えることが必要である。

国家財政の再建という大きな目標に向かって、国民の一人ひとりが大きな犠牲を払う覚悟が要請されているのである。

―――日経ネットPlus フォーラムへの寄稿(2007.8.27月)から―――

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