怒
国の将来を考えよ
中京大学 大学院教授
水 谷 研 治
自分だけの利益を主張し、周りの迷惑を顧みず、国の将来を犠牲にして憚らない意見が横行している。これには嘆かわしさを通り越して怒りを覚える。
たしかに誰でも自分が一番重要である。しかし自分ひとりで生きているわけではない。周りの人々に支えられて生きているのである。誰でも社会の恩恵に浴している。国のおかげで豊かに生きている。
おんぶや抱っこをしてもらえば、ぬくぬくと生きていくことができる。周りに力があるかぎり、それを続けることができる。しかし、やがては支える方の体力がなくなり、限界に行き着く。
豊かな社会に生まれ育つと、何時までも甘えていけると思ってしまうかもしれない。しかし大の大人を何時までも家族が支えられるわけがない。その家族を国が援助すれば心配ない。しかし、そのようにして多くの国民が国家の支援にすがりついていると、やがては国家の力が尽きてしまう。
幸か不幸か国は強大で懐が深い。おまけに資金がなくなれば国債を発行し、借金をして資金を作ることができる。その資金を国中へばら撒けば、国民がその資金を得て幸せに暮らすことができる。
それを長年にわたって続けてきたために、国の借金が膨大な額になってしまった。もはや金利も支払えない事態である。そこまで国民が国家を収奪したのである。
それでも今なお同様に個人が自分の利益のために国に犠牲を払わせようとしている。本来は周りのため社会のため国家のために、個人が犠牲を払って、お役に立つように努めるべきである。さもなければ社会も国家もやがては衰退してしまい、それが将来の国民を苦しめることになるからである。
従来どおりでは行き詰まることは明白である。大改革が必要である。
改革に伴い国民は苦難を強いられる。しかし将来の国のため国民のためには、どれほどの苦労も覚悟して乗り越えなければならない。
そのために必要なのは愛国心である。それがなければ将来の国民がその咎めを受けることになる。我々は猛省する必要がある。
―――Forbes2006年1月号 喜怒哀楽への寄稿から―――