2005.9.1

    改革が必要な背景は財政破綻

                    ―――大きな痛みを覚悟して―――水

  改革をめぐる争点がかみ合いそうにない。改革の必要性についてはいずれの陣営も否定していないからである。改革に伴う痛みをどの程度に治めるかが論議されている。

  「改革」は従来のままではなく変更するのであるから、当然に摩擦が生じる。その摩擦をできるかぎり和らげることが必要と考えられている。

摩擦を小さくするためには改革を小幅にし、長い期間を掛けることが必要である。しかし、それでは改善程度に過ぎず改革にならない。そのような悠長なことを言っておれない事態になっている。このことを明確にしなければならない。

  我が国の財政が破綻しているからである。財政が破綻しているために、国家はもはや公務員の給与が支払えない事態になっていることを国民に率直に知らせる必要がある。

  ところが破綻した財政を立て直すためには国民の一人ひとりに大きな負担をお願いしなければならない。そのために、候補者は本当のことが言えない。逆に国民の負担を減らすような公約を並べなければ当選できないと考えられてきた。

選挙民が自分に都合が良いことだけを求めて、そのようなきれいごとを約束する候補者へ投票してきたためである。その結果が財政破綻に現れているのである。

  もはや事態は余りにも深刻である。財政問題は放置できない。将来の国民の膨大な負担を考えれば、我々がどれほど大きな負担を強いられても即刻、大改革に踏み切る以外にない。

  それを明確に主張する候補者を国会へ送り、真の大改革を断行することが将来の国民から我々に求められている。改革の小骨を抜くような議論に現を抜かしているような余裕はない。選挙民は真剣に国の将来を考えるべきである。

―――ISIDフェアネス パーフェクトWebへの寄稿(2005.9.1)から―――

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