2002.12.1

 国の借金を早く返そう―――借りた人が返すのが当然――― 2002121――水谷研治

  資金を借りたら返さなければならない。その借金をいつまでに返すかは重大な問題である。たとえ借金を返しても、返すよりも余分に借りることになってしまえば、本当の意味で借金を返したことにならない。

  国は膨大な借金をしている。それを決められたとおり返済しているものの、それ以上に借りている。そこで借金は減ることなく、増える一方である。

  国は国債を60年間で返済することにしている。毎年60分の1ずつしか返済しないのであるから、僅かなものである。これでは借金を返すことの苦労はないに等しい。したがって、借金をしても痛くも痒くもない。とりあえず借りて使って楽しもうとすることになりがちである。

  これでは借金経済から脱却することはできない。財政を赤字にすることが将来どれくらい大変な苦労につながるかが分からないからである。ここに赤字財政の体質が定着する根本的な理由がある。

  本来ならば、建設国債の償還は対応する公共施設の耐用年数から考えなければならない。経済企画庁がかつて試算したところの平均37年という耐用年数を参考にすると、最長でも40年では償還する必要がある。

  年間で使ってしまう赤字国債の場合には、個人でいえは飲み食いに使った分である。できれば23年で、どれほど長くても5年間では償還する必要がある。

  現在の建設国債の残高が270兆円であり、それを40年間で償還するためには毎年6兆円を返済しなければならない。赤字国債250兆円を5年間で償還するためには1年間で50兆円の返済が必要である。合計56兆円となる。これが1年間で我々に科された借金の返済額である。

  現在は実質的には全然返済していないだけではなく、毎年、財政赤字を出し続けている。そのために国の借金は年々増大している。赤字財政の体質を黒字に変えて、借金を返済するように方向転換を行う必要がある。

  その転換が遅れれば遅れるほど、その後の借金の返済額が増加し、返済の負担が重くなる。それが国民一人一人の肩に掛かってくることを忘れてはならない。借金の返済は借金をして使った我々が行うべきである。我々が作った借金を子供や孫に返済させるべきではない。

  我々は一大決心をして、大改革に取り掛からなければならない。

    参考 「日本経済  恐ろしい未来」  水谷研治著   東洋経済新報社

Tabislandへの寄稿2002.12.1から)

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