借金返済なしに財政再建なし
――金利の支払を除いた収支均衡が最終目標ではない---- ―――デフレの間に借金を返済せよ――― ................水 谷 研 治
一 今こそ大改革の断行を
景気が急激に下降している。
株価が下がっている。失業率が五パーセントの大台に乗ってきた。
この動きは我が国だけのことではない。アメリカ、ヨーロッパ、東南アジアなどほとんどの国で同様の動きがあり、世界経済は大きな下降局面に入っている。
このまま放置しておくわけにはいかないとの意見が強くなっている。当面の景気下降を食い止めるため、財政改革を一時的に棚上げしても景気振興に方針を転換しなければならないとの見解が増えてきた。
それは過去、何度も繰り返してきた道である。その結果は、大方の人々が期待したようにはなっていない。小渕内閣、森内閣が総力を挙げて景気の振興に努めたものの、その結末は今日の事態である。満足とは程遠い状況である。
この段階で景気振興へ方針を転換しても、その効果は限られたものに終わるであろう。それでいて、もし今回、財政再建を断念すれば、次に財政改革を軌道に乗せるまでに最低限、五年はかかるであろう。その間に我が国の借金は増大を続け、対処不能になっていく。
二〇年後に国民が今日を振り返るとすれば、二一世紀初頭の豊かな時期になぜ本格的な財政改革をやらなかったかと思うのではなかろうか。
出てくる結論は明快である。一日も早く財政改革を断行しなければならない。
改革のためには国民の一人一人が大きな犠牲を払う必要がある。それを覚悟のうえで将来の日本経済の再発展を目指して、大改革に踏み出さなければならない。

二 右肩下がりへの転換
我が国の景気は上下を繰り返しながらも傾向として上昇を続けてきた。ところが一〇年前のバブル期の後、我が国の景気は右肩下がりへと変わってきた。
右肩上がりであれば、時がたてば、水準が高まっていく。たとえば人々の給料は上昇し、企業の売上や収益は増加する。その結果、国の税収も増加していく。将来に希望を持つことができ、社会は活気に溢れ、誰もが幸せになっていく。
この反対が右肩下がりである。時がたてば、水準が下がっていく。給料は減り、企業の売上や収益は減少する。それを反映して国も地方公共団体も税収が減り、住民サービスが満足にできなくなる。
将来がさらに落込むと思えば、気が滅入る。したがって誰もが右肩下がりを敬遠する。そのような現実を見ようとしない。そして、いつまでも昔の右肩上がりの幻影を追っている。
そこで右肩上がりを前提として目標が作られ、現実との差が大きすぎると不満を噴出させている。自らの見方の甘さを棚に上げて、国に救済を求めている。
我が国の経済成長率は長期的に下落してきている。それでも五、六年前までは、まだ目立った状況にはなっていない。
景気が悪いときでも実質成長率は一―二%を保っていた。景気判断では価格の上下を織り込んだ売上額が重要であり、名目成長率のほうをより重視する必要がある。その名目成長率は不況期でも二―三%になっていた。
ところが一昨年度、昨年度の成長率は恐るべき低さである。実質成長率は一・四%と一・〇%にすぎない。すなわち、かつての不況時なみである。より重要な名目成長率はマイナス〇・二%、マイナス〇・六%とかつてない状況である。
それでも景気は間違いなく上昇していたのである。景気は一九九九年四月を底にして上昇を始め、二〇〇〇年の一二月まで上昇を続けたと考えられるからである。
今年度の経済成長率は実質でも一・五%のマイナスになり、より重要な名目では三%のマイナスになると考えられる。来年度も同じ程度のマイナスになり、それが続くであろう。
それは現在の経済水準が異常に高いためである。
一般には逆に思われている。右肩上がりを前提にすれば、今の水準が異常に低いと思われるのは当然である。そこで、異常な事態を払拭しようとして、無理な施策を重ねてきた。
その効果は十分に出ていると考えられる。長年にわたり経済政策で押し上げたため、現在の経済水準は異常に高くなっているのである。もはや維持できない高さになっている。
そのために長期にわたり、あるべき水準へと下落せざるをえない。そして無理して押し上げた分を正常化するためには、その代償を支払う分だけさらに水準を下げなければならない。
参考 「右肩下がりの日本経済」水谷研治著
PHP研究所 一九九六年

三 限界を超えた需要の押し上げ
経済が拡大するためには、モノが生み出されなければならない。モノを作り出すことは難しいことなのである。
しかし、我々は良いモノを作る努力を続けてきた。そして、膨大な供給力をつくりあげたのである。
供給力に余裕があるために、需要が拡大するだけ、いくらでも経済規模を拡大させることができる。我々は需要の拡大をねらい、販売に力を注いできた。
幸いにして海外への売上は膨大な額となっている。それは我々が高い品質の製品を作るからであるが、同時に各国が買ってくれるからでもある。
その資金の出所をさかのぼると、世界最大の経済大国であるアメリカにたどり着く。アメリカが膨大な輸入を続けている恩恵を世界中が満喫しており、おかげで、我が国の輸出が莫大な額になっているわけである。
アメリカは輸出よりもはるかに多くの輸入を続けている。不足する膨大な資金を海外から借りているために、アメリカの借金はうなぎ登りに増大している。もはや、海外からの借金をまともに返済することは難しいであろう。
そのようなアメリカに対して世界中がいつまでも資金を貸し続けてくれるとは考えられない。アメリカ経済に対する幻想が覚める時、世界経済は正常化するであろう。すなわち、現在の異常な繁栄は続かず、世界の経済水準は大きく下落すると考えられる。
我が国の恵まれた輸出環境は続かなくなる。輸出は大きく減退し、国内の景気を大きく引き下げるはずである。
いままでは大きな力で需要を増大させるために財政政策が中心的な役割を果たしてきた。財政政策の発動は誰にも歓迎される。いろいろな理屈をつけて、財政が利用、活用、悪用されてきた。
具体的には減税と財政支出の拡大である。減税によって人々の懐が豊かになると、消費が促進されるはずである。需要の増大に直接役立つ。
公共投資が財政支出の典型である。政府が余分に支出をすれば、それだけ誰かの懐に資金が入り、それが支出に回る。
減税や支出の増加に伴い、産業や働く人を通じて効果が波及し、何倍もの需要を作り出すことができる。その結果が現在である。すなわち、度重なる財政政策の結果として、膨大な需要が作り出されているのである。
いったん、この流れができると、流れが加速される。財政政策を従来以上に発動しなければ効果を上乗せすることができないからである。財政政策を転換することなど、とうていできるはずがない。従来の押し上げ効果がなくなり、経済水準が低下するからである。

四 赤字財政の結果
減税を実施する一方で財政支出を増加させれば、財政は赤字になる。いったん赤字財政が始まると、それが常態となり、赤字幅が拡大していく。
赤字財政による需要の嵩上げが当然のこととされるようになっていった。それを前提とした経済を念頭に置いて、企業は販売の増加を計画し、利益の拡大を目指した。そのために生産設備を増強したので、供給力はさらに増大した。
過剰となった供給力に見合う需要が必要となり、財政政策の上乗せが要請された。この繰り返しによって、経済水準は上昇を続け、現在は異常に高い水準になっている。
その反面、財政は莫大な赤字となってしまった。二〇〇一年度の予算で国の税収は五一兆円となっている。その他に四兆円の税外収入があるため、合計すれば五四兆円となる。しかし国はこの資金を全部自分で使うことはできない。地方へ交付税として一七兆円を渡さなければならないからである。実際に国が使うことのできる年間収入は三八兆円にすぎない。
一方、支出は五九兆円に達している。赤字は二一兆円となっており、それだけ国の借金が増加する。
毎年の赤字の積み重ねでできた国の借金は表面に表われているだけで五百兆円になっている。信じられない大きさである。
このような経理内容の企業はない。家計もない。すでに破産しているはずである。ところが国には破産がない。そこで国民が永遠に国の借金を抱えて、その金利を支払い、元金も返済していかなければならない。
通常、借金があっても、それは年間収入までに止める必要がある。できれば年収の半分までにしなければならない。国の場合、甘く考えても三八兆円までが限界である。大至急、国の借金を返済しなければならない。

五 将来の日本経済は悲惨
これほどの劣悪な財政状況であるにもかかわらず、表面的には何の問題もない。逆に赤字財政が景気の振興のために大いに役立っている。それは膨大な供給過剰があるためである。
過去二〇年以上にわたって極端な供給過剰が続いているため、我々はそれが永遠に続くと思っている。しかし現実に供給力は減少に転じつつある。それは先進国がたどる必然的な方向であり、イギリスやアメリカが歩んだ道である。それは国内産業の空洞化として進んでいく。
時代の動きが速くなっている。我が国がモノ不足経済へと転換するまでには長くかからないであろう。
モノ不足経済へ転換しても、当分の間は心配が要らない。これまでに蓄積した膨大な対外資産がある。それを食い潰していけば、一〇年間は豊かに暮らすことができる。
おそらくそのような方針になるであろう。その間は、厳しい態度で生活を引き締めたり、経済の再建に努力しようとはしないと思われる。その結果、経済体質は悪化の一途をたどり、再起不能の日本経済へ突き進むと考えられる。
資産を食い潰した後は、いよいよ体質の悪さが表面化する。モノ不足からインフレーションになる。
インフレが国民生活を直撃する。しかしモノ不足が続くかぎりインフレを止めようがない。それに伴って金利が上昇する。すると支払金利が増大し、国は借金地獄へと転落する。
それは、何年か先のことである。それまでには国の収入が増加すると思われるかもしれない。実際には逆に税収は減少するはずである。過去のように右肩上がりの経済であれば、税収も自然に増大する。ところが右肩下がりの場合には、税収は減少していくからである。
その時までに国の借金はさらに増大する。年間赤字二一兆円分が借金の増大になるからである。そこで決定的になるのが金利水準の上昇である。
現在の長期金利は一・五%を下回っている。普通の状況に戻るだけで六%になるであろう。インフレ経済の下では八%を上回る可能性がある。
金利の支払いだけで四〇兆円を超すようになる。国の実質的な年収をはるかに上回る金利支払いとなるはずである。国民が納める税金を全部当てても金利の支払いができなくなる。当然、政府は何のサービスも提供できない。国は借金の金利支払いのために借金を上乗せしなければならず、それが金利の支払いを増大させる。このようにして借金地獄へと転落する。
一度、借金地獄へ転落すると、もはや逃げられない。国民の生活水準は永遠に低下を続けることになる。

六 借金返済こそ構造改革の目標
その時の国民にとってとるべき方策はない。それを回避するためには、そのような事態になる前に、根源を断つことが必要である。インフレになる前に、すなわちデフレの間に国の膨大な借金を返済することが必要である。
そのための施策は支出の削減と増税以外にない。それによって財政を黒字にしなければならない。黒字分だけしか借金を返すことができないからである。
借金を返済しようとすると、それが、どれほど大変なことかが分かる。借金を作ることの罪深さが理解できる。借金が生まれるのは赤字のためである。財政の赤字が将来にどれほど深刻な悪影響を及ぼすかに気がつく。
ここで、はじめて赤字財政に対する歯止めができる。言い換えれば、借金を返済してみないと、赤字財政の本当の問題が理解できなくて、安易に赤字財政に依存しがちになる。
借金を返済する場合、返済期間が問題である。建設国債の場合には、つくられた国家の施設の平均耐用年数から考えて最長で四〇年以内に返済することが必要である。
年間で経常的に使ってしまう分である赤字国債については、どれほど甘く考えても五年で返済しなければならない。
ともかく財政再建の目標が借金の返済であり、それを早急に実現しなければならないことを明確にしなければならない。
現在、示されているのは二段階の改革である。すなわち、国債の発行を三〇兆円までに抑えることが第一段階とされている。そして、第二段階としてプライマリー・バランスを達成することが言われている。
しかし、それらは本来の目標とは著しく掛け離れている。プライマリー・バランスは金利の支払を除いて収支を均衡させることを内容としている。これでは、金利の支払分だけ毎年借金が増加する。それでは収支均衡にならない。
それにもかかわらず第二段階までしか示されていないために、それが最終目標と誤解されている。そして、それに向かって細かい駆け引きが行なわれており、改革とは程遠い細かい議論が横行している。
第三段階として、本当の意味で収支を均衡させ、借金を増やさないようにしなければならない。
そのうえ第四段階として、借金を返済していかなければならない。しかも第四段階へ一年でも早く進む必要がある。少子化と高齢化が急速に進み、負担する国民の数が減っていくからである。

七 大幅な経済水準の低下
赤字財政は景気を押し上げるために採用されてきたのである。赤字を解消すれば、押し上げ要因がなくなり、景気は下降する。借金返済のためには、さらに支出を削減し、大幅に増税することが必要である。それが景気をさらに低下させる。
国は不必要な支出だけではなく、必要な支出も削らなければならない。国として最低限、削れない外交、防衛、治安のほかは原則として支出ができなくなる。公務員も大幅に削減せざるをえない。賃金として支払う資金がないためである。
公共投資は原則としてできなくなる。最大の支出項目である社会保障関係費も大幅に削減しなければならない。対外援助などできるはずがない。
いずれも景気を大きく悪化させる。倒産が続出し、失業者が溢れるであろう。国の税収が下落するため、財政赤字は思ったほど減らない。財政を黒字にして借金を返済するためには、大増税が避けられない。
企業から税金を取ることは無理である。金持ちから取るにも限界がある。結局、消費税を引上げる以外にない。消費税を段階的に引上げることは現実的ではない。そのたびごとに景気が落ち込み、社会不安が増大するためである。
改革を実現するためには、大改革を一挙に断行する以外にない。その結果、我が国の経済水準は大幅に下落するであろう。乗数効果が出るために、国内総生産は十数年前の水準へと後戻りすると考えられる。
我々は考え方を根本から変えなければならない。従来は何かと政府に助けを求めてきた。政府に保護や支援を求めるとすれば、おのずから行動に制約を受ける。それは経済の活力を殺ぐことになってしまう。
政府の機能を縮小させることが必要である。国民としては、もはや政府に頼ってはならない。政府に要望するなら、国の借金を返済した後でなければならない。

八 危機を克服した過去の教訓
財政問題を克服することは気が遠くなるほどの難事である。しかも、改革に取りかかれば景気は大幅に下落する。
分かっているからこそ我々は問題に真正面から対処してこなかった。及び腰で少しやりかけては、その影響に怯えて中断しただけではない。問題を大きくして先送りしてきた。
そのような大改革はとうていできないと思われるかもしれない。 しかし我々は奇跡的な発展を遂げた自分たちの過去を振り返り、自信を持つ必要がある。
五六年前、戦後の廃墟から我々は今日の繁栄を築いてきたのである。今や我が国の国内総生産は世界第二位であり、第三位ドイツの倍の大きさとなっている。一人当たりの国内総生産はアメリカと並び、実質的には世界最高の水準である。
この間の道は平坦ではなかった。貿易の自由化があり、国内の企業は壊滅すると言われたものである。石油危機によって文字どおり日本経済は終焉を迎えると思われた。円高不況によって息の根が止められるかと考えられたものである。
そのたびに、国民の強い意志で苦境を乗り切ってきた。我々が本気になって対処すれば、相当なことができるはずである。
いつの間にか我々は目先の自分自身のことにしか関心を払わなくなってしまった。それでは活力も希望も湧いてこない。保守的な姿勢を強めるばかりで、意欲も逞しさも出てこない。
我々はまず本質へと立ち帰らなければならない。借金した人がその借金を返済するのは当然のことである。そのための苦労は借金して使った時から当然に予想されていたことである。
我々には我々の子孫の幸福を考える義務がある。我々だけが裕福に暮らして、そのツケを子孫に残し、彼らを不幸に陥れてはならない。我々が彼らの運命を握っているのである。
我が国の再発展を念願する我々である。意欲を燃やし、不可能かと思われている大改革に挑戦して、実現を図るべきである。―――――Voice 2001年11月号への寄稿から

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