2004.2.10

遠い将来のインフレに備えよ

――物作りの復活と国の借金の大削減を――

     中京大学 大学院 教授

                  

 

1 インフレは遠い将来の問題

  景気は上昇してきている。しかしながら、あくまでもデフレの中の景気上昇であり、たとえ景気が上昇しても大きなデフレの中の綾に過ぎないと考えられる。

  それは現在が極端な供給過剰の状態であり、それが当分は続くと思われるからである。どれほど手を尽くしてもインフレにすることはできないであろう。

  このような事態が長年続いているために、我々はこのように深刻なデフレが永遠に続くと思い込みがちである。たしかに今後も一〇年以上にわたってデフレが続くと筆者は考えている。しかしデフレは永遠ではない。将来はインフレ経済へと転換していくことが考えられる。

  その時のインフレは我々が今日望んでいるような穏やかなインフレではない。一挙に悪性インフレになり、急激な経済破綻に向かうことが懸念される。

  その時にインフレ対策を考えようとしても、対応のしようがないであろう。なぜならばインフレの要因は現在着々と積み上げられており、その累積した結果が、将来表面化するに過ぎないからである。

 

2 供給不足からインフレへ

  悪性のインフレを生むのは極端なデフレである。デフレが続くと企業はやっていけない。今後とも多くの企業が廃業か倒産に追い込まれるであろう。

  中には積極的に工場を建設する企業もある。しかし、多くの企業はそれを海外で行い、海外で生産して、製品を国内へ持ちこむことになる。

  国内産業の空洞化が進むと思われる。それが先進国のたどった道であり、我が国も同様の道を歩むことになるであろう。

  そのような空洞化に対する危機感が乏しい。国民にとっては、海外から安くて品質の良い物が入ってくれば、何の問題もないと考えられるからである。

  ところが物を作らなくなると、物作りに伴う微妙な技術が失われていく。人から人へと伝えられる技術が途切れてしまう。そして復活ができない。このことがどれほど深刻な問題であるかが認識されていない。

  たしかに海外から良いものを安く輸入すれば、当面は効率が良く、人々は幸福である。それが何時まで続けられるかの問題である。国際収支が赤字となり、赤字が増大するために、早晩行き詰まるはずである。

  ところが我が国の場合には、簡単に行き詰まらない。現在、膨大な貿易黒字があり、それがなくなるまでに何年も掛かるであろう。

  貿易収支が赤字に転落してからも、直ぐには問題が起きない。これまでに我が国は膨大な外貨資産を蓄積してきた。それを食い潰していけば、最低限一〇年間は相当な貿易赤字を出しても支払資金に不足することはない。

  その間は海外から物が入ってくるために、物余りが続き、インフレ要因は表面化しない。企業の経営難は続き、国内の生産能力は低下を続けると思われる。

 

3 インフレによる経済破綻

  蓄積した膨大な外貨資産を食い潰すと、そこで転換点が現れる。それでも、現在のアメリカが行っているように海外から借金をすれば、まだ貿易赤字を続けることができる。その間は問題が表面に出てこない。

  海外から借金ができなくなった時が限界点となる。そこで一気にインフレが踊り出る。物不足が表面化するからである。

  インフレを解消するためには物を作らなければならない。作れば売れて必ず儲かる。分かっていても作ることができない。それまでに生産技術が失われているためである。

  質の良い部品が手に入らなくなる。悪い部品を組み立てても悪い製品しかできない。それでは海外へ輸出することができない。国民も悪い国産品を買わずに、品質の良い輸入品を求めることになる。貿易の赤字は減らない。

  貿易赤字を縮小するために景気の抑制政策を採らざるをえない。それが企業経営を苦しめる。設備投資ができないために生産力が高まらず、供給力不足を補うことができない。

  需要を抑制しなければならない。ところが、長年にわたって民間に蓄積された膨大な余剰資金が潜在需要を後押しする。

  その上、膨大な資金がさらに財政から供給される。国債の金利支払が莫大な金額となるためである。金利を支払うために、新たに国債を増発しなければならない。それがさらなる支払金利を生む。このようにして、国債の支払い金利と国債の残高増加が互いに増幅し、悪循環が始まる。

  それがインフレを加速し、金利を引き上げるために、国家財政は借金地獄へ転落する。状況はその後も、ますます悪化する。そして永遠に続く。

 

4 至急に必要な対応

  必要なのは物作りの維持・振興である。空洞化に伴う供給力の減退が将来におけるインフレの根本的な要因となるためである。

  企業が存続しなくなると、良いものを供給できなくなる。それが貧困につながることが忘れられている。もの余りの社会が長く続いたためである。人間の歴史の中で、ものが余るのは例外に過ぎない。やがては普通の状態になるはずである。

  物を作ることは忍耐力が要る。そこには多くの微妙な技術が密接につながっている。それをなくしてはならない。そのためには企業を存続させる必要がある。企業を支援しなければならない。間違っても企業性悪論に荷担するわけにはいかない。

  企業で実際に活躍するのは人である。国民がその気になって物作りに励む必要がある。物を作る人々を支援することが重要である。

  我々は何時の間にか物を作り出すことの重要性を忘れ、有り余るものを使うことだけを考えてきた。

  そのためには国家に借金をさせて、需要を上乗せし、少しでも経済水準を押し上げようとしてきた。それは短期的に見るかぎり、好ましい結果を生む。しかも、その咎めは何年も後にしか出てこない。それを良いことにして、目先の自分自身だけの幸福を求めてきたのではなかろうか。

  借金を作った我々が借金をなくす以外にない。借金を正常な残高までに削減しなければならない。それは最大でも年間の可処分収入までである。すなわち四百兆円以上の国債を償還する必要がある。それをインフレが始まるまでに達成しなければならない。すなわち、デフレの間に実施することが必要である。

  具体的な方法としては、財政支出の大削減と大幅な増税しかない。ところがいずれも景気を大きく引き下げる。景気の悪化を反映して税収が減少する。そのために、その分までさらに増税をしなければならない。

  それを試算すると、支出を徹底的に削減した上で消費税を四割以上に引き上げなければならない。

  それは気が遠くなるほど過酷なことである。そのように本格的な財政改革を実施すれば景気は大きく急落するからである。

  しかし国の犠牲で自分だけが目先の利益をむさぼることはもはや許されない。これまでとは反対に、国のために、将来の国民のために、我々が大きな犠牲を払って日本経済を立て直す必要がある。

―――週刊エコノミスト2004.2.10P35への寄稿の元の論文―――

inserted by FC2 system