中京大学経済学論叢P1-15 20周年記念講演071027
日本経済のゆくえ
―――中京大学経済学部創立20周年記念講演2007.10.27土10.30-11.45―――
水 谷 研 治 (中京大学 経済学部 教授)
1 20年間の日本経済の歩み
(1)強大になった日本経済
(2)経済成長率の鈍化
2 長く続いた景気の上昇
(1)戦後最長となった景気の上昇
(2)上昇幅は僅か
3 望まれる経済の成長
(1)不満足な足取りと水準
(2)好景気が問題を解決する
4 異常に高い経済水準
(1)輸出による景気の押し上げ
(2)アメリカの貿易赤字が世界を支える
(3)政府の赤字が景気を押し上げる
5 限界をはるかに超えている問題
(1)アメリカの膨大な対外借金
(2)積み上がった国債残高
6 将来の予想される姿
(1)少子高齢化による経済力の低下
(2)借金地獄への転落
(3)避けられない大増税
(4)低落する経済水準
7 必要な対応
(1)企業目標の再設定
(2)個人の生活防衛
(3)社会を支える人の力
1 20年間の日本経済の歩み
(1)強大になった日本経済
中京大学の経済学部が設立されることになったのは、日本経済が破竹の勢いで強大になっていった時期である。アメリカ経済の実力を反映するドルの為替相場は1984年末には251円であった。それが1985年末には200円、1986年末には160円となり、1987年末には122円に下がっている。それだけ急速に円相場が上昇したわけであり、日本の経済力が向上したことを示している。
しかし、そのような急激な円高は経済全体へ深刻な影響を及ぼした。経済成長率はそれまでにも順次低下してきていたが、急速な円高の影響がより一層それを加速することになっていった。
(2)経済成長率の鈍化
当時、1987年度の日本経済の成長率(名目)は5パーセントであった。それは、かつての成長率とは比較にならないほど低くなっていた。その10年前1977年度の成長率は11パーセント、20年前1967年度には17パーセントであったことと比べると、我が国の経済成長率が長期的に大きく低下してきたことは明らかである。
それにもかかわらず、その後もまだ国内総生産は増加を続けた。戦後初めて国内総生産が減少したのは1993年度である。ただし、それは1年間だけであり、再び増加をして最高値を記録したのは1997年度であった。
その後、2年間減少して1年間増加し、再び2年間減少して国内総生産が底を打ったのが2002年度である。その後、今日に至る長い経済の拡大につながっていった。
2 長く続いた景気の上昇
(1)戦後最長となった景気の上昇
我が国の経済の動きが変わってきた。
景気が長い間上昇した後も大きく下降することなく、高い水準を維持している。
ところが、このような見方に同調する人々は必ずしも多くない。一部の恵まれた地域を除くと、日本国中の多くの地域では景気の上昇を実感できていないからである。
しかし日本経済全体としては、間違いなく上昇してきた。その間に2度、3度と中だるみの時期を経ているものの、方向としては上昇を続けた。その結果2001年12月を底にして上昇を始めた景気は戦後最長であった57か月の「いざなぎ景気」を超える最長の上昇になった。
(2)上昇幅は僅か
長期にわたり景気が上昇したとは言っても、上昇幅は僅かである。この間の経済成長率は順次上昇したものの、年率は僅か1パーセントに過ぎない。
景気を反映する名目成長率を見ると、2003年度が0.8パーセントであったのに対して、翌2004年度0.9パーセント、2005年度1.0パーセント、2006年度には1.4パーセントまで上昇してきた。
それを以前の我が国の経済成長率と比較すると、余りにも低いことに愕然とする。
戦後40年以上にわたり、我が国の経済は拡大を続けてきた。景気の良い時は当然であるが、景気が悪い時期であっても1992年度までは経済規模が縮小したことはない。経済成長率がマイナスになったことはなかったのである。
どれほどの大不況であっても成長率が4パーセントを下回ったことはなかった。今回の景気上昇期の成長率は過去における最悪の大不況期の成長率の4分の1にも及ばないのである。
3 望まれる経済の成長
(1)不満足な足取りと水準
結果として国内総生産額は10年前、1997年度の水準へ戻っただけである。
かつての我が国では想像ができなかった事態である。以前は10年経てば経済規模は倍になっていた。そのような経済成長が長く続いていたのである。今日のように10年経って、元の水準へ戻るといった状況は想像ができなかった。
この状況では、あまりにも低すぎて、満足とは程遠い水準と言わざるをえない。このような事態を早く脱却して、以前のように力強い成長力を取り返したいと誰もが願っている。
すなわち昨今のように年間1パーセント程度の成長では、何時まで経っても経済水準が上がっていかない。それでは国民の生活水準も良くならないのは当然である。景気上昇が長く続いたと政府やエコノミストがどれほど強調しても、生活者として豊かになったという実感が湧くはずがない。
(2)好景気が問題を解決する
景気が本格的に上昇しないために多くの問題が起きている。ものが売れなくて企業経営が思わしくない。ボーナスが増えない。賃金は据え置きが続いている。正規の従業員が増やせないために、相変わらずパートや派遣の人々に頼らざるをえない。そのための歪が無視できなくなってきた。
人々の懐が暖かくならない一方で、社会保険料などの負担が増えて、人々が使うことのできる分が減っている。多くの人が節約するために全体としての売上が増えないだけでなく、むしろ減り気味である。これでは企業がやっていけない。店舗を廃止するところが増え、シャッター街となり、街全体が活気を失ってきた。
企業が地域から撤退していく。働く場所がなくなり、若者が都市へと去っていく。地域の経済が沈滞する。将来に対する展望が開けない。手の打ちようがない暗さがやりきれない。
民間が困っているのであるから、政府の支援を得たいところである。ところが政府は財源難から手も足も出ない状況である。後で述べるように、財政再建のために支出を圧縮した上で、大増税を実施しなければならない。それが景気をいっそう悪化させる。
もしも景気が良くなっていけば、ほとんどすべての問題点が解消する。将来への展望が開ければ、明るさが出てくる。すべてが良い循環へと変わっていく。それが誰にとっても好ましい。
分かっているだけに政府も経済成長を重視する方針を打ち出している。国民がそれに期待するところは大きい。現在の経済水準が異常に低いと考えられているからである。
4 異常に高い経済水準
(1)輸出による景気の押し上げ
過去の経緯から考えれば、現在の水準が著しく低いことは明白である。以前の傾向をたどっているとすれば、現在の経済水準が倍ぐらいの高さでなければならないからである。
現在が異常に低いとすれば、心配することはない。何時までも異常な事態が続くはずがないからである。異常な状況がなくなれば、経済水準は自然に上昇するであろう。それまで待てばよい。
ところが現実には、その反対になっていると考えられる。すなわち現在は異常に高い水準となっているのである。
異常な状況がなくなれば、自然に経済水準は下降するはずである。我が国の経済は異常な力で大きく押し上げられており、もはや続けられないところまできているからである。
長年の国民の努力の結果、我が国の生産力は大幅に上昇した。供給力が増大し、需要がはるかに及ばないために、もの余りが激しくなっている。それだけ供給面に余力があるために、需要が伸びた分だけ経済が伸びる。
現実に需要が大きく押し上げられている。問題はその要因が異常であり、長続きできない点である。その一つはアメリカの貿易赤字に基づく輸出の増加であり、二つ目でさらに大きいのは我が国の政府による赤字財政による景気の振興である。
国内の需要が低迷しているだけに、輸出によって海外への売上が増加することが、どれほどの恩恵をもたらしているかは計り知れない。
好調な輸出の基になっているのは、我が国の産業の力強さである。品質の高い国際競争力のある製品を作り出すことができるためである。今後も当分の間は、この優位性は続くと考えられる。
ところが、どれほど優秀な製品でも買う側に資金がなければ買ってもらえない。実際には世界の各国が輸出によって膨大な資金を得ているために、我が国から多くの製品を輸入している。その資金を供給しているのがアメリカである。
(2)アメリカの貿易赤字が世界を支える
かつてアメリカは莫大な資金を蓄えていた。対外純資産は3,600億ドルに及んだ。ところが、輸出で稼ぐよりも、はるかに大きな金額の輸入をしているため、毎年、赤字分だけ資産を減らし、純資産をすっかり使い果たしてしまった。
その後もさらに輸入を増加させているために、貿易赤字が急増を続けている。不足する資金を借金しているため、アメリカの対外純借金は膨大な金額となってしまった。今やアメリカは破綻に瀕しているのである。
それが表面化していないために、我が国の人々だけではなく、世界の国々や人々はアメリカの経済力が依然として強大だとの幻想を持ち続けている。そして毎年アメリカへ大量の資金を貸している。
アメリカへ資金を貸す人がいるかぎり、アメリカは世界中から資金を借りて大量の輸入を続けることができる。しかし、このような借金経営を永遠に続けることはできない。アメリカ経済に対する幻想がさめると、世界の人々はアメリカへ資金を貸さなくなるであろう。
アメリカが輸入できなくなれば、世界中の輸出が激減し、世界経済は大打撃を受ける。特に輸出が大きな役割を果たしている我が国や中国の経済は甚大な影響を受けることになる。
要するに現在はアメリカの異常なまでの大きな貿易赤字の基になっている輸入のお陰で、我々の輸出が膨れ上がっており、それによって経済水準が異常に大きく押し上げられている。そして、そのようなことは、もはや続かないところまできているのである。
(3)政府の赤字が景気を押し上げる
さらに大きな力で経済を押し上げているのが赤字財政である。
本来、財政は収支が相償って均衡するのが原則であり、当然あるべき姿である。ところが我が国の財政は赤字になっており、赤字分だけ余分に使っている。それだけ需要を増やしているわけである。
そのお陰で、それに見合った分だけ需要が押し上げられている。当然に経済水準が上昇しているのである。ところが、その意識が国民にない。財政の赤字に慣れっこになっているためである。
過去40年以上にわたって赤字財政が続けば、赤字財政が当然との考え方が普通になってしまう。しかも赤字幅は順次拡大してきて、現実の赤字が膨大な金額となっている。そのお陰で我々が現在どれほどの恩恵に浴しているか分からない。
5 限界をはるかに超えている問題
(1)アメリカの膨大な対外借金
異常な事態が発生すると、誰もが用心する。しかし、それが長い間続くと、異常な事態に不感症になってくる。
その間に異常の程度が是正されれば、正常化へ向かうのであるから心配は要らない。やがては正常になるはずである。
その反対の場合が問題である。異常の幅が大きくなっていくからである。通常の場合は、そのようなことにならない。問題が大きくなり是正を迫られるからである。
ところが場合によっては問題が表面化しないことがある。異常が積み重なることが目先的に望ましい事態になることがあるからである。その場合には問題点が問題として認識されないだけではなく、むしろ歓迎されることになる。
アメリカの膨大な貿易赤字がその典型である。赤字分だけ余分に世界各国から輸入してくれるお陰で、我が国を含めて世界各国は随分と助かっている。世界経済が大きく押し上げられるからである。
通常このような状況が長く続くはずはない。赤字分だけ資金が流出して資金が枯渇するからである。アメリカは莫大な資金を貯めていた。しかし貿易の赤字が大きいために、たちまち貯蓄を使い果たしてしまった。
それ以後は不足する資金を借りなければならない。借りてまで赤字を出し続けることはできないと考えるのが普通である。借りた分は将来返さなければならないからである。現実にはアメリカは借金を積み重ねることを悪いと思っていないようである。
ところがアメリカが資金を借りて輸入をしようとしても、資金を貸す人がいなければ、不可能なことである。現実には日本人をはじめ世界の多くの人々がアメリカへ大量の資金を貸している。
その結果、アメリカの対外純借金は莫大な金額になってしまった。貿易の赤字が続くかぎりアメリカの借金はそれだけ増え続けるはずである。
このような大借金を背負っているところへ、さらに資金を貸すことは考えられない。借金がこれほど大きくなると、もはや返済ができない。そのような人や企業や国に対して資金を貸すことはない。
したがって、今の状況が何時までも続くはずがない。すでにアメリカの対外借金は限界をはるかに突破しているのである。やがては行き詰まるはずである。
アメリカが年間8千5百億ドルを超える膨大な経常赤字を削減するために輸入を大幅に減らせば、アメリカへの輸出が急減する。その場合、我が国の景気は大きく落ち込むはずである。すなわち今の経済水準を維持することはできない。
(2)積み上がった国債残高
我が国の財政赤字は膨大であり、それが40年以上も続いている。不足する資金を借りなければならない。国の借金は莫大な金額になってしまった。今年度末には540兆円になると予想される。それは想像を絶する金額である。
しかも依然として膨大な財政赤字が続いている。赤字分だけ国の借金は増加する。借金は急増を続けるはずである。
一般に借金の限界は年間売上高の半分と考えられる。業種による違いがあるものの、どれほど甘く考えても年間売上が借金の限度である。
国の年間売上は税収の53兆円と税外収入の4兆円の合計から地方交付税として地方へ移転しなければならない15兆円を除いたものである。すなわち42兆円が年間で国が使うことのできる収入である。
本来はその額が借金の限界である。実際には年間収入の12倍もの借金となっている。限界をはるかに突破しているのである。
財政破綻によって悲惨な状況に陥っている
国の場合は
6 将来の予想される姿
(1)少子高齢化による経済力の低下
将来は何が起きるか分からない。それでも分かっていることもある。少子高齢化はその一つである。その結果、国の生産力は低下していかざるをえない。供給力が衰えていく。
それは働く人が減るだけではない。若人が不足するにつれて、社会が彼らを甘やかすことになり、教育ができなくなっていくからである。人間として基本的に必要な資質が失われる可能性がある。
国民が勤勉で忍耐力があるからこそ、困難を克服することができ、新しい試みに挑戦できる。このことが経済の発展にどれほど大きな影響を及ぼすかは容易に想像することができる。
よほどの努力を重ねなければ、国民の資質が低下して社会が堕落していくと思われる。経済面についても例外ではない。生産力が落ちてくる。供給力が萎えていく。そして、ものが乏しくなっていく。
あふれるほどの、もの余りがなくなっていく。極端なデフレが解消することは喜ばしいことである。ところが喜ばれる段階から、さらに進むと、もの不足の段階へと移っていく。
インフレ経済へと転落する。我が国がもの不足に悩まされるようになり、豊かさが失われて普通の国になっていく。
ものがないのであるから作れば売れる。分かっていても、作ることができない。
国内では給料が高く、しかも国民が働かないために作ろうとしても採算が合わない。そのために海外で作って輸入する体制に変わっていく。作らなくなると、作る技術が失われる。そして再び作ることができなくなる。もの不足から抜け出すことは極めて難しい。インフレが定着する。
(2)借金地獄への転落
インフレに伴い金利が上昇する。現在の異常に低い金利が普通の金利になるだけではなく、インフレに見合った高さへと上がっていく。
金融資産を持っている人々は金利収入が増えて、喜ぶであろう。しかし金融資産のうち国債など確定金利の資産を持っている人は暴落によって大損害を被ることになる。
最大の被害者は借金をしている人である。金利が上昇して支払金利が急増するからである。それに見合った収入があれば良い。しかし膨大な借金があると、支払金利の増加が収入の増加には到底及ばない。
金利を支払うために、さらに借金を増やさなければならない。それが金利の支払いを増加させる。このようにして借金地獄へと突き進む。
我が国の国債残高が膨大になっているところから、国家財政は借金地獄への道をたどることになるであろう。いったん地獄へ陥ると這い上がれない。それだから地獄なのである。将来の国民は子々孫々にわたり永遠に借金の金利支払に苦しめられる。
将来の国民に罪はない。我々が作った借金のために、永遠に彼らが金利を支払わなければならないのである。彼らには逃げる方法はない。対処の仕様がないからである。唯一つの道は我々が国の借金を減らすことである。
それには期限がある。インフレが本格化する前に借金を正常の範囲に納めることが必要である。借金を返済するためには黒字にしなければならない。黒字分だけしか借金を減らすことができないからである。徹底的な支出の削減が必要である。しかし、どれほど支出を削減しても、それだけでは黒字にまではならない。いかに赤字幅が大きいかを認識しなければならない。
(3)避けられない大増税
膨大になった借金を削減するためには大幅な増税が避けられない。それをどの程度の期間で実行するかが問題である。
早く済ますと、あく抜けが早い。ところが増税幅が大きくなって、国民の負担が大きくなる。果たして国民はその影響に耐えられるであろうか疑問が出てくる。社会不安が起き、それを扇動する輩も出てくるであろう。
現実的なのは期間を掛けてゆっくりと増税を段階的に実施することであると思われるかもしれない。そうすれば国民の負担を小さくすることができる。しかし、増税を次々と実施することは難しい。増税によって景気が悪化するからである。その中でさらなる増税が断行できるとは思われない。
増税幅が小さければ、借金の削減に長い期間がかかる。その間にインフレの危機が迫ってくる。大きな借金を残して金利が上昇するような局面を迎えれば、借金地獄へと転落して、取り返しがつかなくなる。
ここまで国の借金が大きくなった以上は、一大決心をして、思い切った大増税を断行する以外に解決の方法はない。
(4)低落する経済水準
財政改革は支出の大削減と大増税以外にない。それを徹底して実行すれば、経済水準は大幅に低下する。
支出の削減はあらゆる部門で行なわれなければならない。最大の費目である社会保障関係費は放置しておくかぎり大きく増加する。それを抑えるだけでなく削減しなければならない。社会的な弱者にさえ資金が出せなくなる。ことの深刻さを真剣に考えなければならない。
2番目の費目である公共事業費は毎年減少しているが、それをさらに徹底して削減しなければならない。新規事業ができなくなるだけではなく、維持補修費も乏しくなるであろう。
3番目の文教科学費も大幅に減少させなければならない。聖域を認めていては全体の支出が減らないからである。
公務員の給与支払を大幅に削減しなければならない。支払う資金がないのであるから公務員を大幅に削減したうえで、給与水準も大きく下げなければならない。
ここで参考になるのは財政が破綻した夕張市の例である。
財政再建のために市会議員を最大時の7割減とした。市役所の職員を半分にしたうえで、さらに半分にする計画と言われる。しかも給与を大幅に引き下げている。11の小中学校を2校にし、公共施設を閉鎖し、公共料金を大きく引き上げ、市民税を限度一杯まで引き上げる。この程度で
国家財政は夕張市よりも、はるかに悪い。したがって夕張市程度の対応では不十分であることは当然である。ここまで国家財政の悪化を放置してきた我々の責任を痛感せざるをえない。
徹底的に支出を削減したうえで、大増税を実施しなければならない。法人税を増税すると企業は海外へ移転するであろう。金持ちから税金を取ろうとしても、彼らは海外へ逃げ出すであろう。結局、一般の国民が負担する以外にない。消費税の大幅な引き上げが避けられない。
財政支出の削減によって景気は下降する。それは景気振興策として以前に財政支出を増加させてきた反対になる。
増税が同様に景気を悪化させる。それも以前に景気振興策として減税を実施してきた逆の方向になる。
財政改革の幅が大きいことは景気への影響が大幅になることを意味している。景気は急落する。企業の倒産は急増して、失業が増大する。人々の使える収入が大きく減少するために使えなくなる。売上が急減して景気の悪化を加速する。
そのために国の税収は激減する。法人税が大きく減少する。所得税も減るであろう。消費税の税収は増税する割には、それほど増えない。それだからこそ、税収の減少を見込んで、消費税の引き上げ幅を大きくしなければならない。
それらの結果として、全体の国内総生産は大幅に減少するはずである。
7 必要な対応
(1)企業目標の再設定
経済界はそのような将来を想定しているであろうか。
一般には、今の経済水準ですら異常に低いと不満を抱いていると考えられる。そして将来いつかは高い水準へと戻っていくものと期待しているのではなかろうか。
現実を見つめてみると、それは不可能である。どれほど贔屓目に見ても、将来の我が国の経済水準は下落が避けられない。
財政改革には二つの道が考えられる。現実的な見通しとしては、国民の理解を得られる方法として、ゆっくりとした改革が予想される。消費税の引き上げも10パーセントからせいぜい15パーセントまでである。
これでも景気は急落する。しかし、これでは解決にならない。国の借金は減ることがないであろう。将来の国民の金利支払は永遠に増え続ける。そして国の経済水準は永遠に低下を続けるであろう。
問題を本当に解決するためには、支出の徹底した削減と消費税の大幅な引上げが必要である。その結果、経済社会は灯の消えたようになる。大恐慌になるであろう。しかし5年も経てば、底打ちの傾向をうかがうことができ、将来に曙光が見えてくる。それまでの辛抱が必要である。
それから再発展が始まる。
そのような道筋を企業経営者は考えておかなければならない。どのような状況になっても企業は生きながらえる必要がある。倒産してしまえば、長年にわたって培ってきた各種の技術が雲散霧消してしまうからである。
企業の目標を作り直す必要がある。
(2)個人の生活防衛
豊かな社会で生まれ育ってきた人々は厳しい環境では生きていけないと言われる。しかし環境が悪化したからと言って死ぬわけにはいかない。
いざとなったら国家が面倒を見てくれると人々は思っているかもしれない。しかし実際には国には、まったく力がなくなっているのである。以前と違って、これからは国家が援助してくれると考えることはできない。
原点へ戻らなければならない。結局、個人の生活は個々の人々が自分で責任を持って処理する以外にない。各人が生活防衛の準備をする必要がある。一人ひとりが将来の状況を想定し、計画を立てて実行しなければならない。
現在の生活すらおぼつかないのに、将来のことなど考えられないと言う人がいる。現在のような豊かな社会が将来も続くと考えるならば、手をこまねいていても何とかなる。しかし将来の社会が格段に悪くなることを想定するならば、生き方を変える以外にない。
将来の生活水準へ合わせて、予め大幅に生活水準を引き下げておくことである。それによって、余った資金を貯蓄しておかなければならない。それが将来の身を助けることになると考えられる。
(3)社会を支える人の力
巨大な借金を抱えると、再生ができなくなり、我が国の経済も破綻すると考えられる。しかし、そこで諦めるわけにはいかない。国は国民のものであり、我々の子孫のものである。子孫の幸せを考えれば、国家の破綻を目の当たりにして放置することはできない。
破滅的な経済社会になる可能性がある。しかし、その中で国民の考え方は変わっていくであろう。自暴自棄になる人々が出てくる反面、真剣に対応する人がでてくる。社会におんぶと抱っこで生きていくことができなければ、実力を培って生き延びなければならないからである。
国民の多くが他に依存するのではなく、自分でやる気になったとき、我が国の経済は再び活力を取り戻し、再発展の道を探ることができるようになると考えられる。
そのようなことができるか疑問に思われるかもしれない。しかし62年前、我々は大変な事態に遭遇し、それを克服してきた。
敗戦の時、我が国には何も残っていなかった。工場も機械も原材料も住居も衣服もなかったのである。国民は食糧すらなく、国内総生産はほとんど零に近かった。残っていたのは人間だけであった。しかも多くの優秀な若人は戦死していた。
どん底からの再出発であった。国民の懸命な努力によって経済水準を急速に高めていった。一人当たりの国内総生産がヨーロッパ先進国に追いついて追い越し、アメリカに追いついて追い越し、世界最高にまで達したのである。それを実現したのが日本人である。
もし我々が以前のように満々たる意欲に溢れ、真剣に向上を目指すならば、以前のような発展力を取り戻すことができる。
国民が国家に依存するのではなく、いったん破綻した国家を国民の手で再建しなければならない。そのためには国民の一人一人が国家のために大きな犠牲を払うことが必要である。国家を支えるのも、国の将来を決めるのも国民の資質であり考え方である。我々は満々たる自信を持って国家の再建に邁進するべきである。
参考 「日本経済 インフレの危機」 水谷研治著 東洋経済新報社