中京ビジネスレビューP34-42  2006.3.31

  Mega Bank と地域銀行の重要性

      Necessity of Regional Bank in Mega Bank Group

                       

                      Mizutani Kenji

         (中京大学 大学院 ビジネス・イノベーション研究科長 教授)

 

  Mega Bankの誕生

. 都市銀行の合併

  我が国における大銀行は合併に次ぐ合併によって今や三大グループに集約された。

  いわゆる大銀行としては都市銀行の13行と長期信用銀行の3行に信託銀行7行があった。そのうち北海道拓殖銀行は消滅したと見られる。日本長期信用銀行と日本債券信用銀行はともに破綻して大きく変身した。

  信託銀行は次々と合併していった。東海銀行系の「中央信託銀行」は「三井信託銀行」と合併して「中央三井信託銀行」になった。三菱系の「日本信託銀行」は「三菱信託銀行」と一緒になった。三和銀行系の「東洋信託銀行」は「UFJ信託銀行」となったうえ「三菱信託銀行」と合併し、「三菱UFJ信託銀行」になっている。単独で存続している大手としては「住友信託銀行」および「安田信託銀行」がグループの名前に変えた「みずほ信託銀行」に過ぎない。

  都市銀行の合併は、はるか以前に、「第一銀行」が「日本勧業銀行」と合併して「第一勧業銀行」となっていた。そして外国為替専門銀行の東京銀行が三菱銀行と合併して「東京三菱銀行」になった。

一方、「大和銀行」と「協和銀行」と「埼玉銀行」が一緒になって「りそな銀行」を作った。その後、りそな・グループの中で「埼玉りそな銀行」が分かれて独立したことは最後に述べる。

上位行の「第一勧業銀行」と「富士銀行」ならびに「日本興業銀行」が合併して「みずほ銀行」と「みずほコーポレート銀行」ができた。「住友銀行」は「三井銀行」と合併して「三井住友銀行」になった。「三和銀行」は「東海銀行」と合併して「UFJ銀行」となった。それが「東京三菱銀行」と合併して「三菱東京UFJ銀行」となった。その結果として「三菱UFJグループ」と「みずほグループ」と「三井住友グループ」の三大グループに絞られたわけである。

  これらは巨大銀行の話である。現実にはそのほかに各種の金融機関がひしめいている。地方銀行があり、第二地方銀行があり、信用金庫があり、信用組合があり、そのほか農業協同組合などの各種の組合金融機関がある。それらの金融機関が統合を進めている反面、まだまだ再編成が進んでいない地域も少なくない。

  方向として金融機関の合併が避けられないと考えられている。それは中小金融機関の場合には妥当するであろう。ところが巨大銀行の場合にはかならずしも当てはまるとはかぎらない。

 

. 先行するアメリカ

  そもそも我が国でこのような大銀行の合併が進められたのは、我が国固有の理由があるのは当然である。しかし同時にアメリカの銀行が合併を進めたことが参考になっているように思われる。

我が国はアメリカの後追いをしている。先進国としてのアメリカは我が国にとって先輩であり、良い教師でもある。学ぶべきものは多く、長年にわたり我々はアメリカの真似をしてきた。

両国はその成り立ちをはじめとして、大きな違いがあり、制度としても違いが大きい。そのために同調することは無理な場合が多い。

銀行の場合でも日米で大きく違っている。たとえばアメリカでは巨大な銀行がある一方で、我が国とは比較にならないほど零細な多くの銀行がある。またアメリカでは原則として全国銀行がない。アメリカの銀行は相互の提携統合を進めていった。これに対して我が国の都市銀行は全国に展開している。

  企業のあり方が違っている。アメリカでは目先の収益を重視する姿勢がはっきりしている。経営が悪化すれば倒産は仕方がないと考えられている。企業の業績が悪化する前に企業を売却することも少なくない。

アメリカでは企業の合併が日常化している。合併に伴う摩擦が小さいわけがない。それでも仕方がないと考えられている。合併は銀行同志だけではない。関連する会社との合併が進められた。銀行は保険会社やカード会社と合体して巨大な金融グループを作った。

  アメリカの金融機関経営は決して順調に推移していたわけではない。むしろ大変な危機に遭遇していた。多くの中小金融機関が倒産し、あるいは倒産の危機に瀕していた。それをどのようにして処理するかに当局は頭を悩ましていた。公的資金を投入して不良債権の処理を強行させ、早めに整理統合を進めることが必要と考えられていた。現実にそれが実施され、整理が進められた。

  これらの事例が我が国で参考にされている。その結果、都市銀行の合併が推進されたように思われる。

 

  Mega Bankの理念と問題点

. 巨大グループによるSynergy効果

  不良債権を多く抱えた弱体銀行が存在することは金融機構の全体を危険にする。一つの銀行が破綻すると、他の銀行へ波及するからである。それを避けるためには一つ一つの銀行の体力を強くする必要がある。

銀行が破綻するのは不良債権の増大による。不良債権は無理な融資が原因である。そのような無理な融資をしなければならない理由があるはずである。それは銀行が無理に収益を求めるためである。それを必要とするような状況がある。

我が国の場合、極端な金融緩和要因がその根底にある。今日のように極度の金余りが続くと、銀行の経営は成り立たない。資金の需要がないために銀行業が成り立たないからである。

そのような状況の中で銀行として収益を確保しようとすれば、かなりの危険を覚悟する必要がある。それが銀行の不良債権を増大させる。

  どのような企業でも経営が悪化することがある。もっとも一般的なのは景気が悪化する場合である。逆に景気が回復してくれば、一挙に状況が好転して経営は危機を脱する。このような状況を長年の間に何度も繰り返してきたのである。

  ところが右肩上がりの景気が右肩下がりへと転換し、それが定着するようになると、企業経営は回復できなくなる。以前なら回復して浮上すると思われる企業業績は低迷したままで推移し、倒産への道をたどる。そのような企業へ融資している銀行は不良債権を抱えることになってしまう。

  経済情勢が悪化するにつれて多くの企業経営が苦境に陥り、それが取引銀行に波及した結果として銀行の不良債権が増加していった。

どのような企業にとっても不良債権を抱えていては動きが鈍くなる。そのため、どの企業も不良債権を極力早く処理しようとする。銀行にとっても同様である。

しかし不良債権を早く処理すれば良いとはかぎらない。それが相手企業の信用不安に結びつくようなことがないようにしなければならない。それが発端となって多くの企業へ倒産が波及すると影響が大きくなる。場合によっては、それが銀行へ跳ね返る。その結果として、銀行自身の信用不安に結びつくとさらに危険である。したがって総合的な判断が必要になる。

それだけに、ともすれば不良債権の処理が遅れがちになる。そうすると銀行の体質が何時までも悪いままに推移することが考えられる。

それでは金融機構全体として困るため、銀行に対して不良債権の処理を強力に推進させるように行政面からの指導が行われた。その結果、体質の悪化が表面化した銀行に対して行政が公的な資金を投入して救済する一方で、体力の弱った銀行を合併して問題の表面化を避けようとしたと思われる。

  我が国の都市銀行は世界的に見ても巨大であった。それをさらに合併させれば、規模的にはさらに大きくなる。規模の利益を目指すとすれば、一つの生き方である。

  それとともにグループの中で各種の金融機関を持っている。銀行部門はその一つである。そのほか証券部門や信託部門があり、カードやコンピュータ部門などもある。

  その意味では違った部門を統合することによって、いわゆるシナジー効果を期待することができると思われている。

 

. Span of Controlを超える

  巨大金融グループの出現によって安定性は間違いなく高まったと考えられる。ところが、それは一方において大きな問題を引き起こす。

  まず、合併による後遺症に長く悩まされることがある。アメリカと違って日本の企業風土の中では合併による効果よりも問題点が多く見られる。

それぞれの従業員が企業に忠節を尽くしていて、急に別の会社の風土に慣れることが難しい。新しい環境に適応する能力に欠けると非難されることがある。しかし、そのような組織に対する忠誠心こそ企業の底力の基になっているのであり、もしそれを失なえば、企業の力が損われる。

しかも各社によって企業文化が異なり、長年にわたって、企業はその文化を育成し従業員に徹底してきた。これこそ、その企業の特色であり、妥協を許すわけにはいかないものである。そのような異なる企業文化を統一することは難しい。

それらの難しさが直ぐに出てくるのが人事である。合併に伴う陰湿な人事抗争は長く尾を引く。そのようなことを続けていては合併の効果は挙がらないと言って、身を引いて譲歩すると、それが後々まで尾を引いて損をする。その現実を見ると、絶対に妥協できないと誰もが考える。これでは合併の効果が出てくるはずがない。そのような弊害が合併会社に共通して現れている。

そもそも、これほど巨大となった企業グループを管理することができるであろうか。現実に管理の目が行き届くとは思われない。従来の都市銀行でも、すでに十分大きすぎる面があったのである。

異質の業界を傘下に入れてシナジー効果をねらったアメリカの金融グループで反省の気風が見られる。分離して統轄する考えが出てきた。部門ごとに分割して独立させなければ全体を管理できなくなるからである。

 

  銀行の本来の役割

. 決済機能と資金供給

  ここで必要になるのは銀行の本来の役割を見直すことである。社会において銀行が果たすべき機能を考え、どのような点を重視するべきかを検討して機構を考えなければならないからである。

  銀行に求められる最大の機能は資金を間違いなく取り扱うことである。資金を間違いなく預かり、返済を要求されれば、正確に返すことである。支払を依頼されれば、その人に遅滞なく資金を渡すことである。

いわゆる決済機能と呼ばれる資金の出し入れは銀行業務の基本である。それが正確にしかも素早く時間通り実行されることによって、経済社会における取引が効率よく実行されている。

  日常的に行われている事務であるだけに、その重要性が認識されることは少ない。しかし、これこそ基本的な銀行の役割である。それを支障なくこなすために何重にもわたり確認を繰り返して事故を未然に防いでいる。そのために掛ける費用も多大になっている。

正確で迅速な事務処理のためにコンピューターの果たしている役割は大きい。それだけにコンピューターの事故は致命的となる。それを防ぐために各種の工夫がなされている。絶対安全とはいかないものの、それに近づける努力を怠るわけにはいかない。コンピューター周りの費用は大きな比重を占めることになる。

事務的にどれほど正確に処理されるとしても、それだけで決済事務ができるわけではない。銀行へ資金を持参して依頼すれば間違いなく資金が支払われることが重要なのである。現実には銀行が資金を支払ってくれる保証はどこにもない。ただ、ひたすら銀行を信用する以外にない。

  それだけの信頼感が銀行になければならない。その信頼感は銀行の豊富な資産によって裏打ちされていると考えられる。それだけに、銀行は十分な自己資産を持っている必要がある。

  それがどの程度であるべきかは一概に言えない。たとえば経済成長率が高く、旺盛な資金需要が企業にあって、それに銀行が応じなければならない場合、銀行は自己資本を充実している余裕がない。この場合、銀行は自己資本の充実を犠牲にして資金の供給に力を入れることになり、それが経済を拡大することにつながる。

  このような事態が続いたからといって、銀行が内部留保に力を入れなくても良いことにはならない。銀行は収益力を保持し、得られた収益を極力内部へ留保する必要がある。それは銀行業務を遂行するために必要な内部留保であり、それを超えた分が外部へ配分できると考えるべきである。

  現実には銀行が十分な収益を確保することは極めて難しい。資金需要が極端に乏しく、融資ができないからである。金利が極度に低く、採算に合わない融資が少なくない。それでも損失を少なくするためには止めるわけにはいかない。この情勢は現在の極端な資金過剰状態が続くかぎり変わらないと考えられる。それは銀行にとって大変深刻な事態が続くことを意味している。

 

. 後向き資金の重要性

  資金の供給が銀行の役割としてもっとも重要である。

  その場合の資金を前向きの資金と後ろ向きの資金に分けることができる。

前向きの資金とは、業容を拡大するために必要とする資金である。増加運転資金と言われるものに、原材料を追加で購入するための資金がある。設備資金は工場建設や機械の購入といった設備投資のためのものである。新しく業務を始めるための創業資金も典型的な前向きの資金である。個人の住宅建設資金も広い意味でこれに入れることができる。

  これらの必要とする資金を融資することが銀行として重要であることは当然である。それが活発な企業や人々の活動を支援することになるのは言うまでもない。そして、その結果として経済を活性化する。

  前向きの資金は銀行としても応じやすい。もちろん将来の返済可能性は十分に吟味しなければならない。甘い計画に応じて資金を融資すると、融資をした銀行が損失を被ることは当然である。それだけではなく、甘い計画を実施した企業が破綻をして、多くの人々に迷惑を掛けることになる。もちろん責任はそのような計画を立て実施した企業にあるが、銀行には企業の経営者に対し、その甘さを指摘して反省を促す役割がある。

  ただし、今日のように資金需要が極端に減退して借りる企業がない場合には、僅かに出てくる資金需要を断ることは事実上難しい。その意味で余りにも酷い金余りがもたらす重大な弊害が国中に蔓延している。

  これに対して後ろ向き資金は企業経営が悪化したために必要になる資金である。売れ行きが落ちると企業に入る資金が減少する。そのために資金を支払うことができなくなる。約束した支払ができなくなって企業は倒産する。

  倒産は企業の死である。死ねば生き返ることができない。もしも資金を支払うことができれば倒産することはない。生き延びて、その間に再起を図るのである。そのためには資金が必要になる。

  どのような企業でも、いつも順調に経営が推移するとはかぎらない。企業自身は健全であっても、周りの影響を受ける。大不況がくれば、どのような企業でも売上が減少する。地震や台風などの大災害は忘れた頃にやってくる。

  もちろん企業は経営が悪化した場合を想定して準備をしているはずである。しかし、どのように準備をしていても、それを上回る事態がくれば、手の施しようがない。それでも企業を倒産させてはいけない。企業は生き延びなければならない。

そこで重要になるのが資金の調達である。それが企業の生死を分ける。その時、資金を提供する銀行が必要になる。

過去を振り返ると、このような救援資金によって多くの企業が立ち直り、その後の発展につなげている。

企業は生き延びるために必死に資金を求める。これに対して銀行の立場は難しい。

企業が倒産すれば企業へ過去に行った融資が焦げ付き、銀行は損失を被る。損失にならないためには倒産させてはならない。

ところが追加で救援資金を融資すれば、倒産は免れるものの、それで一時的に生き延びても、後で結局は倒産するとすれば、いっそう事態は悪くなる。銀行として追加で融資した分まで損失が増加するためである。

企業を一時的に救済すれば良いわけではない。見込みのない企業を存続させると、その間に関係する多くのところで、さらに大きな借財を作り、より大きな災厄をもたらすからである。

しかし、もし企業として将来性があるとすれば、一時的な苦境を乗り切ることが必要であり、銀行としても支援をしなければならない。しかも企業の倒産がもたらす地域全体への広範な悪影響も考慮する必要がある。

ところが、その見極めは難しい。現実に経営が悪化していて将来に希望が持てるか否かが分からない。一般的に、将来性がないから誰も支援しないのであり、したがって資金不足となるのである。そのような悪条件の中で、なお将来性に希望をつなぐことは冷静に考えた場合、無理なことが多い。

それにもかかわらず、企業の再生と発展を願って銀行が後ろ向きの資金を提供するのである。そのためには銀行として企業の体質をよく知っていなければできない。経営者の資質が決定的な要因となる。従業員の協力体制がどのようになるかを見なければならない。企業を取り巻く取引先の支援がどの程度期待できるかを見極める必要がある。企業の長い歴史と危機における過去の対応が参考になる。

  そのような企業の状況がよく分かっていなければ、企業が必要とする後ろ向き資金の提供を銀行が行うことは難しい。そのような銀行ではいざとなった場合に企業の頼りにならない。

  この他に企業が緊急で大量の資金を必要とする場合がある。それを提供するのが取引銀行の役割である。たとえば企業の買収に対抗する場合である。企業としては長期的な観点で経営を続けることが重要であり、余りにも短期的な要求には応じることができないことがあるからである。

  企業の長期的な安定と繁栄を支援するために銀行が役割を果たす局面である。経済社会の安定化のために銀行は重要な機能を果たさなければならない。

 

. 企業経営の診断

  企業は生き物である。自身でいろいろな問題を抱えている。しかも外部の条件が絶えず変わる。それに応じて的確に対応していかなければならない。それを実行するのが経営者である。

  経営者は万能の天才でなければならない。現実には、それは望んでも無理である。したがって経営者は多くのものを利用するのである。あらゆるものを企業の経営に活用すれば良い。それが医者であり、弁護士であり、銀行家である。

  銀行には企業を将来にわたって支援する能力が求められる。そのために企業の経営に対して常に冷静に、しかも温かい目で見ることが必要である。

  銀行は企業の現状を把握していなければならない。企業の財務を分析することによって、ある程度は見当がつく。そしてこのままで推移すれば近い将来にどのような状況になるかを見る必要がある。

より発展することが望ましいことは言うまでもない。もし状況が悪化すると予想される場合には、是正を考えなければならない。それを予測し、決断して実行するのは企業の経営者であるが、銀行は経営者に対する忠告者としての役割を果たすことができれば最高である。

  銀行は、多くの企業との取引があり、多くの事例を知っていて、その経験を生かすことができる。各企業の経営者と違って、少し距離を置いてその企業を見ることができることも重要である。ただし、いつもそのような目で企業経営を見ていなければ、問題点を見つけることができず、的確な提言をすることはできない。

  企業は外部要因によって大きな影響を受ける。最大の要因が景気の動きである。経済の大きな動向に対抗することは難しい。それだけに、全体の経済社会の動きに絶えず目を配っていなければならない。自社の経営に忙しい経営者に対して銀行がこのような一般的な情報を提供することができれば役に立つ。

  どのような企業でも経営者だけで事業ができるわけがない。従業員の協力が必要である。仕入先があり、販売先がある。それらすべてが企業を支えているのである。関係者との連携が重要である。相互に協力していかなければならない。しかし互いに甘えていては、その時は良いとしても、やがては共に没落していく。

  将来どのようになるかは過去においてどのような経緯をたどってきたかを見ることで参考にすることができる。その意味で企業とその企業が置かれてきた状況の長い歴史を見ることが必要である。その長い歴史と時代の流れを織り交ぜて将来の行方を判断しなければならない。

企業が置かれた地域の情勢も重要である。企業経営が地域の影響を受けるからである。

  銀行制度は経済社会における安定化のための機構であるべきである。活性化のために短期的な活動が推奨される時代であるからこそ、一面で長期的な発展を目指す必要がある。そのために果たすべき役割がある。安定株主としての機能は銀行が果たすべき重要な役割の一つである。

 

 

  地域銀行の重要性

. 地域銀行の必然性

  銀行が社会で果たしている役割は平時における資金の確実な決済と前向きの資金の供給である。そして、企業が長期的な発展を目指すことができるように安定的な経営を目指すことができるように支援することが重要である。

そして、もっとも銀行が必要とされるのは企業経営における危機の時である。企業が買収に対抗するための資金や経営危機に際して必要になる後ろ向き資金の提供は緊急時に企業が銀行に求めるものの典型である。

  このような緊急時の対応は慎重でなければならない。特に後ろ向き資金に銀行が応じることは難しい。企業経営が危機に瀕しているとすれば、すでに取引のある銀行としては以前に融資した分の返済が心配になる。できれば早く返済してもらいたいと考えるのが自然である。しかし経営の悪化した企業に資金的な余裕があるはずはない。むしろ救援資金が必要である。

その資金を出すためには将来にわたって企業経営の目途が立たなければ無理である。現実に悪化している経営の将来を見通して資金を融資するためには、将来に対する見方によほどの信念がなければならない。その総合判断が銀行として必要である。そこで必要なことは真剣に企業の将来を考えることである。

それには、その企業だけのことを考えるのではなく、地域社会全体の中での企業の果たしてきた役割が重要である。その企業が倒産した場合の地域全体への影響、ならびに企業の再建に対する地域の協力の意思と能力を知っておかなければ決断ができない。

  そのためには常日頃から銀行として地域と密着していなければならない。銀行全体として地域経済と一体となっていることが必要である。それは銀行にとって地域全体が良くならなければ困るからでもある。地域経済が個々の企業の業績に密接に関連し、それがまた銀行の業務に大きな影響をもたらす。このことを考えれば銀行として地域の発展に力を注ぐことは当然のことである。

  企業や地域と密接な関係となることが好ましくない影響につながる恐れもある。関係が深くなると、本来的な判断ができなくなる可能性が出てくるからである。企業よりの判断になりやすく、地域のことを考慮する余り、必要以上にのめりこむことになり、結果として傷を深くすることが考えられるからである。

過去における金融機関の破綻はこのような結果であることが少なくない。そのために影響が大きくなり、地域全体を大きく長く痛めつけることになりかねない。

  ただし過去の事例を見ると、個別銀行の身勝手な保身による間違った判断よりは、大きな経済社会の動きに翻弄された結果である場合の方がはるかに多いと考えられる。その意味では、全体の経済金融政策がより重要な影響力を持つと見られる。もちろん全体の経済の動向とともに政策の方向を的確に予想して対応することが銀行にとって重要なことは当然である。

 

. Mega Bank Group内の地域銀行

  我が国において三大メガバンクが誕生し、それぞれが全国銀行として覇を競っている。しかし、それによって銀行の機能が発揮され、銀行が本来の役割を果たすことになるとは思われない。

  巨大企業は全国的いや全世界的な展開をしている。中堅企業も世界的な広がりを持つところが多い。しかし、ほとんどの中小企業は地域に根付いている。それらの企業にとって銀行は重要な役割を期待されている。

  現在のような金融情勢であれば金余りが続くために、どこからでも資金を自由に調達することができる。したがって企業が銀行の必要性を感じないのは当然である。しかし10年後、20年後を考えれば、何時までも今日のような極端な金余りが続くと考えるわけにはいかない。

  どのような企業にも浮き沈みがある。緊急事態では親身になって相談できる銀行が必要になる。現在は相談を掛けても逃げる銀行が多い。経営が悪化した企業からは融資を引き上げようとする。そのような銀行では企業にとって頼りにならない。

銀行の方が本来のあるべき姿に戻らなければならない。それには銀行として地域に密着した方針を明確にしなければならない。それぞれの地域に根付いた地域銀行を設立することが望ましい。りそな・グループの中で設立した埼玉りそな銀行をその例として挙げることができる。

現実問題として、地域銀行がすべての金融機能を発揮することは難しい。膨大なコンピューター投資をそれぞれの銀行が独自に行うのは無理である。証券業務や信託業務を含めてグループ内の機能を活用することが現実的である。

 

. 金融機関行政の転換

  我が国のメガバンク・グループは巨大になりすぎている。もはや全体を統括できる限界を超えていると考えられる。

  もともと巨大であった都市銀行を合併させてきたのである。合併に伴う軋轢は予想通りと思われる。その弊害は長く続くであろう。それは合併したそれぞれの銀行が痛いほど知っていることである。また、それを見聞きしている多くの銀行関係者の常識となっていることである。

  我が国の銀行にとっては、そのような内輪のせめぎ合いに憂き身をやつしている余裕はないはずである。それぞれの銀行が懸命に合理化に努め、その成果を早急に出す必要がある。それは依然として要請されていることである。

一部の銀行を救うために他の銀行との合併を推進することが全体の金融機構を考えた政策であったと推察される。それが良かったかどうか問題である。

  巨大な金融グループを作り上げたアメリカでは、期待したようなシナジー効果が出せず、むしろ巨大化した全体を管理することが困難になってきた。そのために、分権的な方向へ転換を始めている。

  我々としては、異常な金余りを続ける現状が永遠に続くと考えるのではなく、正常化する将来を展望して、あるべき銀行の姿を作っていかなければならない。

 

参考

水谷研治著「銀行は地域密着へ立ち返れ」時局コメンタリー第70620051012

水谷研治著『耐乏なくして再生なし――日本経済・復活のシナリオ』東洋経済新報社2005

水谷研治著『企業金融論の基礎』東洋経済新報社1972

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